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ホテル屋サカキの命令違反

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命令違反を繰り返す『ホテル屋』の奇想天外な日常を描くショートストーリー。
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2022年6月の記事一覧

【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「花駕籠街道」

 玄関前に停留所がある。そういう旅館だった。 「ごめんください」  声をかけると、女将と思われる顔立ちの整った女性が顔を出し、 「これはどうも、坂木様でいらっしゃいますね」  といって、坂木道夫をなかへと引きずり込んだ。  ――いつまでもそこにいてはいけない。  そういわんばかりの強引さに戸惑いを覚えたが、人里離れた場所には、特有の無遠慮な善意があるとも聞く。  ここもそういう土地なのだろう、と思うことにした。   「私からの説明は以上になります。ご検討のうえで後日お返事をい

【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「ピッチパイク」

 出張帰りにカジノに立ち寄ったのが間違いだった。  命令に従って素直に帰社していればよかったものを、欲を出して直行便を一本見送った結果、信じがたい危機に直面することになってしまった。  異国の地でただ狼狽するしかない坂木道夫は、逃げ惑う人の波に押し流されて、気がつけばロードウェイの端に立っていた。  この場から逃げ出すためにも、速やかに移動手段を手に入れなければならなかったが、誰もが自分の身を守ることに精一杯で、坂木のような外国人に構う余裕のある者はいなかった。  必死のヒッ

【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「ムーンライト・シューシャイン」

 この国に一人しかいないという靴磨き職人を探し当てるまでには三週間もの時間を要した。  長い旅路の果てにホテルへと辿り着いたとき、その老人は、鶏が放し飼いにされている中庭で、見たことのない弦楽器を奏でていた。 「こんにちは」  坂木道夫が話しかけると、老人は手を止め「待っていましたよ」と共通語で答えた。 「靴を、磨いてもらえますか」  坂木の問いに短く頷くと、老人は楽器を置きゆっくりと椅子から立ち上がる。 「どうぞ、おかけください」  老人が座っていた椅子は驚くほど豪華で、は

【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「国立深海図書館」

 ドッキングを終えてハッチを開けると、なんともいえない甘い香りが潜水艇の内部へと流れ込んできた。  何年ものあいだ中年男性が一人で生活している空間とは思えない匂いだった。  生活臭の対極にあるような、清涼感のある香り。  それが、坂木道夫が感じた一つ目の違和感だった。  潜水艇から館内へと入ると、そこにある広い空間は、壁を隔てた向こう側の世界を忠実に再現していた。  先ほどまで坂木が、潜水艇のカメラ越しに見ていたものと同じ光景。太陽光すら届かない深い海の底。虚無を思わせる漆黒

【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「フレデリカ・サウザンド・キルスイッチ」

 廃墟となったこの邸宅には、もはや訪れる者など誰一人としていない。  全盛期の絢爛豪華な姿を想像しながら、坂木道夫は静まり返ったダイニングへと足を踏み入れた。  以前のこの建物は、主人とフレデリカの住まいであると同時に、客人をもてなすホテルでもあったのだという。  せっかくの庭を独り占めするのはもったいない。そう語る主人に対して、客人を受け入れるよう提案したのはフレデリカだった。  それから半世紀に渡り、1000の仕掛けが施されたこの邸宅を、世界各国から多くの人々が訪れること

【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「対策訓練」

 坂木道夫がチェックインの手続きをしていると、ロビーの中心が騒がしくなった。  見ればナイフを持った男が警備員にねじ伏せられている。  その様子を横目で見ながら、「怖いですね」といって、レジストレーションカードにサインをする。  フロントスタッフは曖昧な笑みを返すだけだったが、しばらくして館内に電子音が鳴り響くと、カウンター横のディスプレイを指し示し、 「あれは、訓練です」  と説明をした。  ディスプレイには「テロ対策訓練中」と表示されている。  なんだ、それは。  告知不

【ショートショート】ホテル屋サカキの命令違反「ハイバネーション」

「当ホテルでは、クラブフロアの客室にハイバネーションを採用しております」  チェックインを担当したフロントスタッフは、坂木道夫に部屋のアップグレードを提案した。 「いかがされますか」 「普通の部屋とは、なにが違うのでしょうか」  坂木の質問にフロントスタッフが答える。 「客室内のすべてが、部屋を出る直前の状態で一時保存されます」  ハイバネーションとは、本来、冬眠を指す言葉だったが、現代においてはコンピューターの一時休止処理にもその単語が用いられている。 「とても快適ですよ」