事故物件

 星の数ほどある物件のなかからここを選ぶということだけでも大体のことは分かる。この物件を選ぶということは、金がなくて、夢があって、他のことは考えていないに決まっている。六畳一間の和室が一つに、二ついっしょに鍋が置けないキッチン、褒められる場所があるとするならば風呂とトイレが別であるという点だけ。あとは恐ろしく安いということだけ。恐ろしく、というのは比喩でもなんでもなく、事故物件であるこの部屋は他の号室より四割ほど安い。値段に惹かれて入居しては一か月ももたずに退去していくのがこの部屋のお約束になりつつあるが、礼金がそのまま手に入ることを考えると大家としては悪くない物件になっている。
 一か月ももたずに退去を決める入居者たちは決まって幽霊のことを口にする。ドライヤーで髪を乾かしていると、ブレーカーが落ちた訳でもないのに自分の部屋だけが停電したとか、料理をし終わって晩御飯を食べようとした瞬間停電したとか、幽霊に自分が狙われているとしか思えないようなタイミングで停電するとそろえて口にする。事故物件であるという事実がそう思わせているのかもしれないが、見た訳でもない幽霊の存在を疑わなくなるほどには入居者たちが出ていく理由になっている。
 値段につられて入居を決める輩の態度は、きまっていいものではなく、夢を追いかける自分にちょうどいい苦難であるといった様子で事故物件に入居してくる。入居して2、3日こそ不安げに洗面所を使うし、不安げにキッチンに立つ。それが続くのであればいいものの、一週間もすれば洗面所でドライヤーを使う時にコンセントに水気がないか確認するような丁寧さは完全になくなっているし、思い出したかのように自炊をしてみれば、ガスの元栓を閉める前には自分で作った唐揚げを美味しそうに頬張りつつ、ハイボールを流し込んで寝てしまう。漏電がどれだけ危ないのかも、ガス中毒がどれだけ危ないのかも、それらすべてが自分には関係のない話で、自分に限ってそんなことでは死ぬわけない、と本気で信じているのがこの部屋を選んで入居してくる奴らの特徴だと結論づけられるほど、ほとんど全員がそういった不用意さをもったまま東京に来た奴らしかこの部屋には入居してこない。
放っておくとすぐにでも死んでしまいそうな夢ある若者たちをこの部屋から追い出したいと思うのは老婆心なのだろうか。叶うかどうかもわからない夢を追いかける人生がこんなところで終わってしまうのはもったいないと思ってしまうのは、自分を重ねているからだろうか。生きていれば、直接伝えることができたなら、こんな回りくどい伝え方をしなくてもいいのだろうけども、今となっては停電させて気を引くことしかできない。
事故物件には今日も新たな入居者が来る。どうか安全にこの部屋から出ていってほしい。

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