【コラム】自分を生かす約束事を捨てる。
「誰かにとっての光でありたい」
そんな風に願ったことさえ20年以上忘れていたけれど、ある時を境に急にあふれ出すようになった。
あれは今も忘れない、一晩中泣きはらした時のこと。
わたしはひどく傷ついたことがあって、パニックになって、ひとり部屋の壁と壁に包まれるような小さなスペースに座り込んで泣いていた。
ほぼ嗚咽に近いような声を押し殺しながら、とめどなく流れてくる滝のような涙のしょっぱさをどこか冷静に観察しながらも、自分の中からこだまする声を静かに聞いていた。
「ただ、一緒にいてくれるだけでいい」
「何も悪いことしないから、そばに置いて」
「邪魔にならないようにするから、一緒に連れて行って」
きっと、小さい頃、言いたくても言えずに自分の中で殺した言葉だったのだろう。6歳までの間、何回も繰り返した再会と別れ。愛おしい時間には、必ずさようならが伴うと、覚えた。
言えなかった何十年分ものこの言葉を、言えなかった数だけ一度に出てきてしまったようだった。
開けてはいけないパンドラの箱が、全く別の出来事をきっかけにぱかっと空いてしまって、わたしは一瞬にして3歳児に(いやそれよりもっと幼いかもしれないが)引き戻された。
しばらく泣いて、身体の水分がカラッカラになったあと、ポワンと自分の胸あたりに、さっきとは違う何か丸いものが出てきた。
刺々しく痛々しく、とっても悲しい塊ではなく。小さな陽だまりのような、それこそ光の玉のようなものが胸のあたりに浮かんできたと思ったら、
「誰かにとっての光でありたい」
という気持ちが出てきた。
あぁ、これは、約束事だなと気づいた。
昔々のわたしが、生きるために、生き延びるために、暗闇の中で必死に見つけたひとつの光。希望、そして生きる意味。
わたしは、わたしと、約束をした。
「誰かにとっての光で在れるように」
生きるために。
笑うために。
命を見失わないために。
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でも、捨てた。
この、キラキラした、そしてわたしの細胞を動かす中心になっているような光を、わたしは自らの手で葬り去った。わたしは、自分との約束事を破ることにした。もう、その約束事はいらない。
「誰かにとっての光でありたい」
なんて、綺麗で、可愛らしくて、力があって、前を向かせる輝かしさがあって、きっとこれを握りしめていたらわたしはどこまでもいけるのだろう、と。
でも、誰かにとって、希望でありたかったのは今のわたしではない。
その”誰か”も、父や母や祖父母だろうけれど、今のわたしはその存在達にとって希望であることを必要としない。
わたしは誰かにとっての光である前に、わたしは、わたしでしかないし、自分自身の光であれればそれで良い。
だから、さようならした。
わたしを20数年も生かしてくれてた約束事を捨てることにした。
わたしはそのとき初めて、他者で自分の価値を図ることをやめた気がする。
どうやって?とか、どうしたら?とか、そういうことは正直、うまく言えない。ただ捨てると決めたから捨てた、それだけ。今のわたしには、その記憶も、その過去も、その約束事も、原動力にはならない。
でも、ふとした時に、引き戻されそうになる。この約束事は、いとも簡単にわたしの”今”を奪って、”過去”に連れ去り、小さいままにする。足りなくて怯えていて抱きしめられたくて悲しさでいっぱいの細胞に戻す。
「誰かにとっての光でありたい」
そう思うことが、自分を強くしてくれていると、思っていた。
「誰かに必要とされている実感が欲しい」
その気持ちが原動力になると、信じていた。
でも、違ったのだ。
わたしは、強くいる必要はなかったし、
ただ知るだけでよかったのだ。自分の強さを。
強さを持っていることを知ると、強くないことも知る。強さを認めると、強くない自分も受け入れるスペースができる。
よく切れる包丁は持っていても、わたし自身は包丁ではない。
わたしは、約束事から自由になって、ようやく今の自分が空気を吸っていると感じるようになった。
誰かの光でいる?
そんなのどうでもいい。
誰かにとって希望でいる?
いやいやいやいや、そんなのね
人の勝手だ。笑
思うように思ってくれ。笑
そうやって思える今、約束事なしに生きられる。今度は未来の自分と約束事をしたい。それも、その都度、その都度、まっさらな自分を中心に。
あなたの約束事は、なんですか?
もし人生が無条件に自由で豊かだったら何をするかと言われたら書く、というくらい書くことが生きる上で欠かせない人間です。10年間の集大成を大放出します。サポートは全て執筆と研究活動に使わせて頂きます