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使命は3側面から成り立って完成する


6月のインスパイアニュースレター(有料記事)のバックナンバーです。


■使命・・・とは何か?あるのかないのか?


使命という言葉は非常に曖昧です。あるの?ないの?あるとしたら何なの?そんな風に一度は思ったことがあるのではないでしょうか。一時期わたしも探すことをしましたが、途中からどうでも良くなっていきました。使命なんてあってもなくてもどっちでもいいや、と思うようになっていました。しかし、そんなわたしでもある瞬間ふと

『あー・・・自分の使命はこういうことか』

とわかった時があったのです。割とつい最近のことです。あってもなくてもよかったけれど、使命に対する捉え方を変えたら、『実は使命ってこういうことなのか』と腑に落ちました。

そしたらさらに生きやすくなったのを覚えています。何だか、生かされていることをハラの底から理解したというか・・・自分の全てをもっと重要なものだと扱いたいという自尊心も湧いてきました。

背中がすっと通るような一本の軸も感じましたし、“自分の人生に責任を持つ”ことの本質がもっとよく分かり、気持ち良さを感じました。

使命を生きる、使命を果たすことはある意味スムーズに生きることだと、思っています。サボることはできなくなりますが(笑)他の人間として生きる必要がなくなり、むしろ“あるがままの自分”でいることが必須となります。

そのため、わたしは全ての人に使命を果たして欲しいと思っています。その方が全てのエネルギーを循環させることができるし、無駄なく行き届かせることができる。

だからこそ結論、使命は“あります”。しかし・・・


人によっては“ありません”。

これは運命の人に関しても同じことが言えます。

いると言えばいる、いないと言えばいない。その人がどう思うか、という以上に、“その人が使命や運命の人”とどう関わろうとするのか、その姿勢が関係します。

使命を完成されたものとして“ある”と期待し、ある意味自分から働きかけることもなく、なんか与えられないかなーと思っているのか。

運命の人が白馬の王子様になってやってきてくれないかと思っているのと同じですね。最初から完璧な人を求め、共に成長していくことを望まないならば、使命にも運命の人にも出会う可能性はグンっと下がります。(ほぼない、とわたしは考えます。)

しかし、姿勢が変わった時。使命や運命の人、といったものは自分次第で変わる、と能動的に関わっていこうとした時にそれらは輪郭をあらわします。

残念ながら最初から完璧ではありません。後述しますが、使命は3つの側面を持ちますのでその3つの側面を見つけ、磨き、育てることが必要。運命の人も、完成された人として現れるわけではないですが、自分が取り組み方を変えれば変えること、期待に応えてくれるというか・・・


とにかくひとつだけはっきり言えることは、“使命はあるけどない”ということ。

あなたが他の誰かの人生を生きている場合、使命は“ない”に等しいし、その状態のまま使命を“探し”ても、きっと満足する答えは見つからないでしょう。

しかし、あなたが本当に、自分の与えられた限られた命やエネルギーや時間を、自分の人生として生かしていきたい!と思うなら。使命はあなたの前にやってきてくれるはずです。

今回は、使命を構成する3つの側面について解説しながら、あなた自身があなたの“命”を輝かせる“使”いかたを見つけ、生きることの意義を発見できるようなインスパイアニュースレターをお届けしたいと思います。


■3つの側面で構成される使命、とは


今回わたしは、使命という言葉を3つの側面から解説したいと思います。なぜなら、使命というのは3つのパズルのピースが組み合わさって初めて“生まれる”ものだと考えるからです。つまり、使命があるのかないのかは、このパズルのピースが揃っているかどうかにかかっているということ。だからこそ、使命はあってないようなものだ、ということなのです。

3つの側面、パズルのピースはこのように分かれております。

使命のメッセージ的側面
使命の手段的側面
使命の行為的側面

さらにこの3つの側面はこのような部分と関係していると仮定しました。

使命のメッセージ的側面・・・その人のコアメッセージ
使命の手段的側面・・・その人の世界観やご縁のある分野
使命の行為的側面・・・その人の天才性や潜在的な能力

つまり、使命とは自分の本質的なメッセージを知った上で、自分自身の世界観を持ってご縁のある分野にて天才性や潜在的な能力を働かせることを指す、のではないでしょうか。

このうちどれかひとつだけできている状態でも、使命を果たせているとは言えないのかもしれません。逆に言えば、この3つが揃うまでわたし達は“より使命感を感じる方へ”という光の筋をたどりながら、自分の使命を果たすということをするのではないでしょうか。

何はともあれ、この3側面を揃えることができたときに「あぁ、これが使命か」と腹落ちするのです。少なくともわたしは、そうでした。

使命というものがあるかないか、そればかり気にしていた頃とは違って、“使命というのは自分の中で3つのパズルがバチっとハマったときにぽんっと生まれるものなのだ”と感じました。その時の腹落ち度は、今まで感じたことのないものでした。そして同時に、“使命がわかったら、次はそれを育てていくことが重要なのか”ということもわかりました。


自分の本質的なメッセージを知った上で、自分自身の世界観を持ってご縁のある分野にて天才性や潜在的な能力を働かせること。これをグルグル、グルグル、どんどん繰り返しながら螺旋状に成長していく。使命感を持った後もまた、使命を成長させていくことができるのだと知って、わたしはさらにワクワクしたのです。

さて、そんなわけでここからはこの3側面について解説したいと思います。そして、なぜこの3側面を揃えることで使命が生まれるのか、逆に揃っていないと使命を果たせていないことになるのか、などについても検証していきましょう。


■「使命ってこういうことか!」と気づいたある時


まずはわたしの体験を紹介しましょう。わたしはふとしたことがきっかけで、20歳の頃潜在意識というものと出会い、そこから一気にハマり、仕事にまでなりました。実際には潜在意識のみならず、目に見えない世界について、世界の真理や本当に人間を動かしている“何か”について解明することがとても楽しかったのです。

それなりに直ぐ結果も出ましたし、おそらく人よりこの分野の洞察に長けている方だと、思います。「潜在意識に関することをやるのが自分の使命だ」と思っていた時期もあります。

しかし、ある時期から途端に興味がなくなっていきます。謎が解けてきたからです。そして、25歳頃に、自分の中で“こたえ”が出てしまったため、世界の真理を探求する必要がなくなってしまいました。

もちろん、自分の中で出た“こたえ”というのはひとつなのですが、そのひとつは一言で表現できないものなので、その後はただひたすら自分の中で見つけた“たったひとつのこたえ”をアレコレ色んな表現をすることを続けたのです。

探求ではなく表現、あるいは体系化や具現化、抽象度の高いものを3次元におとしこむ、という作業をし続けていたのです。

潜在意識に関する興味そのものはもう、ほとんどなくなってしまったのですが・・・“抽象度の高いものを、なるべく忠実に抽象度の低い形で再現する、表現する”ということそのものが今度はわたしの楽しいこととなったのです。

そしてやがて、テーマ的な興味は潜在意識から別のテーマへと変わり・・・。あるとき気づいたのです。


『物事を解明し、抽象的でわかりづらいものをわかりやすい形へと変化させたり翻訳したり表現することが、いつどんな時でも楽しくて仕方なかった』

ということに。

それは、潜在意識というテーマに興味がある時でもない時でも。言うならば、物心がついた時からすでにそうだった、と言えるかもしれません。この時に気づいたのです。

『わたしの使命ってもしかして、潜在意識うんぬんじゃなくて・・・こっち?』と。

今までは、潜在意識とかそういった分野こそが自分の使命だ!と思っていたので、そこに対する興味がなくなったことに不安がありました。なぜ、興味がなくなったのだ?とまで思っていたのです。

しかし、テーマは変わって当然だ、というか、実はテーマはどんどん数珠みたいに一本の糸では繋がっているのだけど、変わっていくものなのではないか・・・と。そう気づいた時に、わたしの中で「テーマは変わっているけれど、本質的な使命はずっと変わっていなかった!!!」と気づいた時でした。

それが3つの側面のうち、

使命の行為的側面・・・その人の天才性や潜在的な能力

に気づいた瞬間だったのです。


■印象が変わることで一気に使命に近づく


今まではどこか、自分の天才的な才能を発揮することと使命を果たすことは別のことだと思っていたのですが、自分の与えられし才能を分け隔てなく使って貢献するということは、使命を果たすことの1部分であり、重要なことなのだと思うようになりました。

使命を果たす=神さまからやりなさいと頼まれていることがあって、それをやることが大事なこと

みたいなイメージがあったので、どうも使命を果たすというのはあまり楽しくない印象もあったのですね。しかし、自分の天才性を発揮するコスパの良さ、と言いますか(笑)物事のスムーズさと全員の喜びをつくることができるその素晴らしい影響は自分自身ですでに体感していました。


そのため、自分の天才性を発揮することは使命を果たすことの一部であり、それだけで使命とは言えないけれど重要なことなのだとわかったら、わたしの中で使命を果たすことはとてもハッピーなことであるイメージに書き換わったのです。

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さて、その発見があった時にあることに気づいていきます。

『興味がある分野って変わる人もいれば変わらない人もいるけれど・・・スポーツ選手って引退するよなー』

最初に浮かんだのは、松岡修造さん(笑)テニスプレーヤーではありますが、今はコメンテーターなど多岐にわたって活動していますよね。テニスの印象は強いと思いますが、違うスポーツにもわたって活動できています。浅田真央さんはスケート!のイメージがもちろん強いですが、引退された後はアイススケートに変わり、きっと今後もまた分野が変わることはあるでしょう。

本当にたったひとつのテーマ、たったひとつの分野“だけ”をずっとやり続ける人って、なかなかいないのではないか・・・?と考えました。これは非常に大切なポイントです。なぜなら、使命を知りたがる人は、抽象的なことではなく“具体的なテーマや分野”を知りたがるからです。

「わたしは“何を”やることが使命なのでしょうか?」
「わたしの使命は“どんなことを”することなのでしょうか?」

そうやって気になっている多くの方が、例えば『癒すことですよ』とか『創造することですよ』ということを伝えたとしても、どこかパッとしません。抽象的でテーマや具体的な分野が決まっていないので、どこか不安になるのでしょう。

しかしわたしからすると、はっきり決まった分野をひとつに特定するのは難しいし、むしろつまらなくなるのではないかと。人生100年時代において、自分が果たすべき使命の分野や具体的なジャンル・業界・分野はもっと色々あっていいのではないか。(というか、むしろそういう風に出来ている)

だからここではっきり定義しておきます。使命には、はっきりと決まったジャンルや分野、業界はありません。ただ、“ご縁”は関係しています。ご縁のあるひとつのジャンルを通して、時期がきたら次のご縁のジャンルや分野に移動して、また時期がきたら次のご縁に繋がって・・・こうやって“どんどん展開していく”ものだと、考えています。

わたしにとって“潜在意識”の分野、ジャンル、はまさにご縁だと思います。しかし、そのご縁はすでに次のご縁へと繋がれていって、今はまた違う分野やジャンルへと変わっている最中なのです。興味が変わってしまうのも無理はないですよね。新しい縁がすでにやってきているのですから。

しかし、ご縁のある分野やジャンル、テーマやキーワードは変わっていきますが、“やっていること”や“自分のやるべきこと”はそんなに変わらないのではないかと、考えています。

さらに言えば、“自分のやるべきことをやることで生まれる影響”も、あまり変わらない。つまり、使命を果たす中で、ジャンルや分野やテーマはご縁によって変わっていくけれど、本質的にやっていることもメッセージ性もずっと変わらないのではないかと、定義したのです。

それが、今回の3側面の話。ですから、このようになりますね。

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