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(日記はじめます)書くことは地下室のわらばん紙から始まった。

書くことは地下室のわらばん紙から始まった。


しばらく自分をかたるような文章を書くことは躊躇っていた。
以前、ブログを書いていたが、自分を飾っていくことで虚像が生まれ、それで産まれたいろんな事情から自粛していた。
書くならばフィクションかなぁ、と思っていた。あるいは、誰かの素敵な文章達を編集させていただくとか。
実際、ZINE作りを始めてからも、間接的に自分の想いをさりげなくスパイスにいれても、表には出ないようにしていた。
そうした遠慮があった。カレーの隠し味みたいな。

コロナ禍が始まってから、明日から3回目の緊急事態宣言が東京、大阪などで発令される。
正直、個人的にはこの1年間政府は何をやっていたのとか、先の戦争で学んでいなかったのという気持ちになる。
でも、それは個人的な独り言。
少し、置いておこう、いろんな考えがある。

昔から日記本を読むのが好きだ。日々の他人というか、興味深い人の日常を知るのは大嫌いなワイドショー的な側面を感じさせるけれど、
それでも、面白いものだ。そもそも、噂話とかワイドショー的なことが人は好きなのだろう。もちろん、僕も含めて。

このタイミングで日記を書くことにした。

僕の日記が面白いかどうかはともかく(たぶん、つまらない)僕の日常、コロナ禍の僕の日常を通して、今の世界をスケッチしてみたいと思う。
そして純粋に文章を書くことを楽しみながらも、僕を見つめ直してみたいと思う。
虫眼鏡で僕をみたり、天空から僕をみたり、僕が僕のカメラマンをしている。
それで見えてくるものがあるかもしれない。世界が見えてくるかもしれない。
答えはでなくてもヒントは浮かんでくるかもしれない。
そんな手段が日記なのかもしれないし、だから人は日記を書くのかもしれない。

書くことは僕にとって、大きな意味があった。
たとえば、小学校時代は漫画を書いて、みんなで雑誌を作った。
わらばん紙が実家(薬店を営んでいた)の地下室に置いてあった。
僕は地下室からとってきた売り物の(!)わらばん紙をみんなで共有して漫画雑誌を作った。
プリンターが家庭にある時代ではないし、ネットもないから、クラスの人に一冊しかない雑誌を回覧板みたいに回し読みしてもらった。
今で言うと、グループでLINEで共有する感じかもしれない。一体感が楽しい。
その共有、読んでもらうことが嬉しいのだ。もちろん、それ以外になんの報酬もない。
でもそれは素敵なことだった。
毎日が楽しかったのを覚えてる。
わらばん紙の肌触り、香りが好きだ。

人は幼い頃の経験が原点なのだなぁと常々思う。
僕は書くことが大好きだ。
もの作りが好きだ(ちなみに小さい頃はコンピューターでゲーム作りもしていた)。

でも、この日記は初回以外は公開する予定はない。
書くことは楽しい、共有は楽しいけれど、人が読むと思うと、最初に触れたように、飾ってしまう自分の暗黒面が出てしまうのだ。
だから、さりげなく、僕のパソコンに保存していく。
自分用と他人用の分は用途が違うと思うから。

幸い共有する形で、現在はフリーペーパーを作っているから、
別のラインとして、あくまでもこれは個人的な日記になると思う。たぶん。
わらばん紙に書いたように書くことを楽しみたいと思う。
僕は地下に潜る。もぐらみたいに。
地上に光が灯るまで、掘り続けていく。

そう、書くことは地下室のわらばん紙から始まった。


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