あなたと歩んだ四半世紀

やあみんな!アラサー園児のだんちゃんだ。


これが25歳ラストの言葉。

今日から明後日まで旅行してデジタルデトックスしてるもんで、お祝いのお言葉いただいてもすぐは返ってきません。とりあえずお気持ち受け取っとくね?


いよいよ26になるんね。

つい最近まで二十歳くらいの気持ちだったし、なんなら顔も中身も幼児退行が止まらなくて実年齢が一人歩き中。


毎年そんなこと言ってるけど、今年は環境の変化に引っ張られてがらっと変われた気がします。

まず、社会人としてまるまる1年過ごしたのは25歳が初だったのよね。

肩書きがついて、心に余裕が生まれてきたような気がする。

学生だったときは「昨日の自分に絶対勝てるように」って毎日言ってたんですよ。

自分の売りもないし、生産性のない一日だったらまずい、
成長するとなれば生産性か感受性か、ってことでせめて感受性を高めようとぐるぐる自問しまくってました。

社会人になってみると、わたしの光学技術を売りにできるし、毎日お仕事してれば何か生まれるし、そんなアホみたいに自問して感受性感受性とか言わなくなったよねさすがに。笑


とはいえわたしの本当に売りにしたいのは光学技術でも頭の良さでもない(いやそんな頭良くねぇし)。

そもそもがーっと専門分野を掘ったときの深さで勝負したら、大学でまっとうに研究してる人たちにわたしは勝てません。知識も体力も中長期的機転もそんな強くない。

そもそもわたしは人間力とか対人力で勝負したくて。そのために大学入学してからも頑張ってきたし、人生でやりたいこともそっちだし。

技術力はわたしとしては知的好奇心を満たす趣味、副業、サブ要素なんですね。ゴリゴリの本業ですが。ってか職場の上司にもこれ見られてるけど。

そうはいってもやるからには一流と認められたい。発言力を増すためにも、人としての幅を増すためにも、技術力という自分の得意でないフィールドで強みを持ちたい。


ところが去年の今ごろは先輩たちが言ってることがなんもわかんなくて。音だけ聞いてもカタカナか英語か漢字かわからんってレベルでして。

そんな中で高校での講演依頼が舞い込んできました。

自分で研究背景を説明できなければならないというプレッシャーの中、知識の海を自らの手で潜ってもがいて模索する2週間。

あのとき、今まで文献から入れてきた知識という点が一気に繋がり線になった確かな感覚を手にしました。

その後も、リアルなモノを見られてイメージが明確になった出張、知らない分野を知れて、ディスカッションができて知識の定着を感じられた技術展、何言ってるかわからないテクニカルタームマシマシの英語と一人で1か月間戦った学会、やたら測定難度が高いのに一人で設計から回さないといけないプレッシャーに押しつぶされかけた実験、、印象深いことはたくさんありますが、どこまで言っていいのかわからんので全部割愛。

今のところ、光の研究はとっても楽しいです。院のときはあんなに嫌いだったのにね?

そして、たくさんの技術的インプットが順調に進んでいる、確かな手ごたえに背中を押されています。


そうそう、最近は職場内でも対外的なお仕事が増えてきたんですよ。

社内誌の記者、社内イベの幹事などなど、この1か月で急にたくさん舞い込んできて。おもろい出会いもたくさんあって。

新入社員代表挨拶から始まって(いやもっと前から社員に知られまくってたらしいけど)、社内コミュニティ、会社横断コミュニティに入って、社内でも積極的に手をあげて、この1年ほどでいろんなところで爪痕を残してきていました。

たくさん暴れ回ってたのが、ちゃんと実を結び始めたんですね。別の事業所や別の課の方から覚えられてお仕事をぶん投げる白羽の矢を勝手に立てられるのはほどほどにしてほしいけどな!笑


実はこの1年間でイベンターも集客屋もやめたし、コミュニティも捨てたんですよ。気持ちの中では。

年末の投稿でも言ったけど、所属の飲食店も卒業して、イベンターというかエンターテイナーとしてはフリーランスになりました。

2年前にイベンターというおもろい世界に飛び込んで、自分の売りがないというコンプレックスに苦しんで、その中で自分の人間的魅力に自信を持とうと考えを変えて、

いよいよ何かにすがるのをやめて、「楽しい」の実現としてイベンターという形にこだわるのをやめて、一人の人間として目の前の人を楽しませる旅へと独り立ちしたのがこの1年でした。

社会人として肩書きを得たおかげか、それで自信がついたおかげか、この1年間は一人の大人として1対1の真剣勝負でぶつかり合えた方が多かった印象です。

こんなクソガキにも敬意を表してくださる大人な方々が周りにいて、本当に感謝しかありません。

人としてわたしを認めてくれる方々がいるおかげで、クソチビフリーランスのわたしにいろんなイベント企画案件をいただいたり、社内でも社外でもおもろいの供給が止まりません。

これからも一所懸命背伸びをして誠意を尽くして一人一人に思い切りぶつかっていきますので、エンターテイナーだんちゃんと一緒に笑っていただけたら幸いです。


それから、この1年を語るのに入院は外せませんね。

どうしてこうなったのかとか、どんな生活をしていたのかとか、かなりグロいのでここでは全部割愛。気になる人は前の投稿からnoteを見てください(閲覧注意)。

入院生活の中で気づいたこととして大きいのは、日常のありがたさ、仲間のありがたさでした。

短いセンテンスでまとめようとするとあまりにも安っぽくなるのでnote見てねって感じなんだけど、

当たり前のように日が流れていくこと、美味しい(美味しくなくても)ごはんが食べられること、自分の味方でいてくれる仲間がいること、

これがどんなに尊いことかを痛感したわけです。文字通り。

眠れないどころか声を出さずにいられないほどの強烈な体の痛みとともに心に刻まれた、わたしの1か月間の苦痛が詰まったあたたかい傷跡。

術後に噛み続けたガーゼの無機質な味が、今のわたしを一回り強靭にしてくれています。ガーゼは有機物ですが。


26歳になったわたしは、長期的視点で焦らず努力を続けながら、大好きな人たちとのコミュニケーションを楽しみつつ、何事もない日常を過ごしていると思います。

…いや、何事もなくないな。ありがたいことにわたしのまわりからたくさんのおもろいが飛び込んできて、ジェットコースターのような日々を過ごしているんでしょうね。

いろんな仮面を使い分けて、いろんなことをある種機械的にオンオフして、一所懸命に戦って。

そんな中でも感受性を高くもって、一人一人に寄り添っていきます。今年の目標は深さ方向を極めていくこと。

四半世紀も生きてきて、頑張ったら成果が出るのはある程度当たり前なことで、結果をどう見るか、どこまで気持ちを入れ込めるかが勝負な気がするので、

数字や成果や見てくれに惑わされず、焦らずに気持ちを深く入れ込んで、器の大きい大人になるための準備期間としたいですね。余裕と風格のあるかっこいい30歳になりたいよね。


いろんなことがどんどん回り始めていく中で、自分もまわりも見失わずに常に感謝の気持ちを持ち続けて。

形なきものに敬意を払い、形なきことに心配を感じず余裕をもって。

今までよりも「ありがとう」が言える大人であれるように。


1日短いですがだいたい26年間、わたしを育ててくれた皆さま、本当にありがとうございました。

不束者として全力でご迷惑をおかけして爆走し続ける26歳のわたしも、どうぞよろしくお願いいたします。


2022.7.16 25歳最後の日のだんちゃん


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