欅坂という美しい呪いに、さよならを 〜小林由依卒業コンサートに寄せて〜
のんびりと校正をしていたら公演から2週間も経ってしまいましたが、小林由依さんの卒業に寄せて、卒業コンサートの構成や演出を読み解きます。
※この記事は多分にポエムを含みます。香ばしさが苦手な方はご注意ください。
"もう振り向かないでよ いつか会える日まで"
主人公は"未練"を抱えた状態から、その未練を断ち切るように別れを告げる。
このライブのストーリーは、小林由依を"欅坂"に重ね、"櫻坂"のライブを通して欅坂という過去を肯定し、別れを告げるものと解釈できる。
欅坂からの文脈性を極力排除した構成は、過去との柔らかな決別を逆説的に演出する。欅坂はもういないと、ここにいるのは櫻坂だと、表明するようなライブだった。
櫻坂としてのステートメント、『摩擦係数』『断絶』
欅坂のアンチテーゼ
TOKYO SPEAKEASYにて、コレオグラファーのTAKAHIROが語った櫻坂46観。
彼は、櫻坂を欅坂のアンチテーゼと明言した。
傷を抱え込み、傷口になることで悲しみに寄り添ってきた過去。
欅坂は、僕が僕であるために、他者を拒絶することを肯定する。
平手友梨奈中心史観による欅坂のストーリーは、『黒い羊』で幕を閉じる。
しかし、世界から離れていけばいくほど、世界の中で生きていくことは難しくなる。自らの世界から一歩踏み出し、他者との関わりに、世界との接続に、悲しみや苦しみを乗り越えるための糸口を探すのが櫻坂の世界観。
櫻坂は、僕が僕であるために、変わらないために変わり続けることを肯定する。
"耳をそばだてるんだ 自分のそのドアに"
他者との摩擦、断絶。人間同士の関わりは、無傷ではいられない。
オープニングブロックにて披露された『摩擦係数』『断絶』は、単に小林が大事なポジションを担うダンスナンバーとしてライブを盛り上げるだけではない。
他者の関わりから生まれる「反動」をテーマにしたこれらの楽曲は、このライブにおける、欅坂のアンチテーゼとしての、櫻坂としてのステートメントだ。
摩擦係数と断絶の間に流れるVTR。
小林は、目の前にある白いドアを6回ノックし、そのドアに耳をそばだてる。
小林由依=欅坂としての過去。
白いドア=櫻坂としての未来。
ドアはいつだって、その先に広がる世界の存在を語りかけてくる。
“大事なのはその仕切りを壊すこと”
櫻坂は、絶望の中で、「それでも」と、他者と触れ合い前へ進んできた。
今、笑顔でいること
次のブロックは、小林がその白いドアを開ける映像で始まる。
他者と触れ合うためにドアを開けた、その先に待つ世界。暗い世界の中に佇むテレビには、ミュージックビデオのビハインドシーンで構成されたビデオが映る。
そこに映る彼女たちは、笑っている。
『思ったよりも寂しくない』『五月雨よ』が描くのは、ドアの外に広がる世界で櫻坂が見つけた愛。
無傷ではいられなくても、ただ傷を負うだけではない。傷を癒してくれる人と出会うことだってある。そんな愛の存在を知っていれば、前に進むことができるはず。
ありきたりな答えを歌うこれらの楽曲が説得力をもって鳴り響くのは、彼女たちが欅坂という過去を持つからだろう。
櫻坂は、その歩みでもって、愛を信じることを体現してきた。
渋谷に彷徨う「亡霊」
『ドローン旋回中』
日替わりで披露された『ドローン旋回中』と『危なっかしい計画』。
『ドローン旋回中』は、ドローンと「どろん」をかけた駄洒落で彷徨う幽霊の恋を描いた楽曲。田村保乃が自転車で事故に遭うシーンなど、MVにも死を意識させる描写が多い。
君が交差点を渡る姿を見つける、幽霊の僕。
私はどうしても、この楽曲の物語に欅坂を重ね、「僕」は渋谷の地に彷徨う「亡霊」でもあり、「君」は「欅坂」でもあり「櫻坂」でもあると解釈してしまう。
『ドローン旋回中』と『危なっかしい計画』を同格に扱うセットリストは、鑑賞者に容赦なく過去と現在の比較を、欅坂と櫻坂の比較を促す。
「ドローン旋回中が育ったんだな」「やっぱり計画が良い」
「今が、櫻坂が好き」「あの頃が、欅坂が好き」
どんな思いも、それぞれにとっての正解だ。
過去からの恋は、決して叶わない。
櫻坂としての現在を生きている彼女たちに、「亡霊」の願いはもう届かない。
私は、あの日の『ドローン旋回中』が、そう告げているように思った。
『危なっかしい計画』
3rd YEAR ANNIVERSARY LIVEの熱狂冷めやらぬ中、突然発表された小林の卒業に、誰もが欅坂という物語の終焉を予感した。小林の卒業を「最後のチャンス」として、欅坂楽曲の解禁を望んだファンも多かっただろう。
しかし小林は、来るべき卒業の日に披露する欅坂楽曲として『危なっかしい計画』を選び、『ドローン旋回中』と日替わりで披露した。今回のコンサートにおける『危なっかしい計画』は、最後に小林が「狂犬」を再演し、過去へと想いを馳せるための選曲だったと言っても過言ではない。
今回のライブでは『サイレントマジョリティー』や『誰がその鐘を鳴らすのか?』などの楽曲は披露されず、『隙間風よ』のMVで欅坂を火葬したような直接的な演出は持ち込まれなかった。もし日替わりの欅坂楽曲披露がなく、
Day1 : En.2 風に吹かれても→タイムマシーンでYeah!
Day2: M7 危なっかしい計画→ドローン旋回中
という櫻坂楽曲だけのセットリストだったとしても、ライブの演出・構成の完成度は変わらなかったはずだ。また、今回披露された2曲は渡邉理佐卒業コンサートにて既に解禁されていた。『風に吹かれても』では理佐の卒コンと同様にオリジナルのダンスパフォーマンスをしなかったことから、かつて小林が代理センターを務めた楽曲として「供養」するような意図は無いだろう。
「欅坂楽曲を披露しない」という選択はしないが、その選曲には「メンバーとファンがあの頃の欅坂に想いを馳せる」以上の意味合いは与えない。
この選択は、欅坂へのノスタルジアを肯定しつつも、その過去と柔らかに決別するという櫻坂からの応答だ。
この先、思い出の楽曲として欅坂楽曲を披露することもあるかもしれない。
しかし、「これからの物語は、櫻坂だけのものである」と、このライブで宣言しているように思えるのだ。
あの頃の小林由依はもういない。彼女はしなやかに、現在を、櫻坂を生きていた。
小林由依と三期生、終わりへ向かう現在
三期生楽曲『Anthem time』を、小林と中嶋優月の特別なダブルセンターでパフォーマンス。欅坂一期生の初期映像と櫻坂三期生のドキュメンタリー映像を使用した、「21人性」と「11人性」を重ね合わせるVTRに乗せて、小林はナレーションで三期生にメッセージを贈った。
『Anthem time』は加入したばかりの三期生が卒業をテーマにした楽曲をパフォーマンスするメタ的な構造から、三期生の現在の輝きを描く。
今回のダブルセンターでのパフォーマンスは、小林が三期生楽曲に参加するという「エモさ」で訴えかけるだけでなく、楽曲のメタ的視点をさらに強調する「演出」になっていたと思う。
小林に贈る最後のメッセージで齋藤が「記憶に残るメンバーになったと思います」とこの楽曲の歌詞を引用したように、美しいドレスを纏い祝福の中で卒業していく姿は、まさに『Anthem time』が描くアイドルとしての終着点である。卒業を目前にした輝きを放つ小林と彼女の背中を追う三期生の対比は、三期生の現在も絶えず卒業に近づいていることを、実感を伴って想像させる。
『桜月』、欅坂へのレクイエム
『桜月』は、間違いなくこのライブのハイライトだ。
これまでは休養中の小池のポジションを齋藤冬優花が担当することが多かったが、今回のライブでは小林をフォーメーションから離脱させることでシンメトリーの不在を解消した。
反時計回りに動き出す時計から一人離れて、メインステージへと歩いていく小林。一期生を不在とさせるこの引き算が、グループの過去と未来を多層的に描く。
小林由依という生き様
小林由依は未来を引き受ける。
齋藤は小林との最後のMCにて、「小林は後輩たちに『正しさ』を見せ続けてきた」と語った。
小林はいつだって後輩たちに目指すべき姿を、未来を見せ続けてきた。
そしていつだって、私たちファンにとっても、未来を見せ続けてくれた存在だった。
どこまでも平手友梨奈中心史観のもとで動き続けた欅坂を、最後まで先頭に立って牽引してきた。櫻坂に改名してからも、ひたすらに後輩たちを支え、未来を切り開いてきた。
「あの花は僕が大好きだった人だ」で小林がステージから消えた後に歌われるフレーズ。残された彼女たちが歌う"あんなに美しい散り方"は、小林由依という生き様だった。残されたメンバーも、絶えず終わりへと向かっていく。
美しく散りゆく小林とステージに残されるメンバーとの対比で描く喪失の射程は、アイドルやグループの有限性・儚さを超えて、確実に「老い」や「死」を捉えていた。それはまるで「あなたにとっての"あの花"は誰か?」と鑑賞者へと問いかけるように。
それぞれの人生にきっと「あの花」が存在する。
それはアイドルかもしれないし、友人かもしれないし、家族かもしれないし、そういった関係性で括れない存在かもしれない。
それでも、誰もにその大切を失う日が来るのだ。
このライブの『桜月』は、楽曲の描く青春の行く先を超えて、私たちが絶えず死へと向かっていることまでも切実に突きつけているように思った。
満開の桜は、散っていく。
命は絶えず終わりへと向かっている。
満開の未来を祈るのは、美しく散るため。
美しい人生を祈るのは、美しく死んでいくためだろう。
小林由依が背負ってしまった"欅坂性"
そして、小林由依は過去を引き受ける。
小林は『サイレントマジョリティー』『黒い羊』といった欅坂を象徴する楽曲で多く代理センターを務めたことにより、櫻坂における"欅坂性"の大部分を背負ってしまった。さらに誤解を恐れずに言うならば、その"欅坂性"とは一期生の存在そのものである。
小林は、きっと自身の卒業が持つ物語性や文脈性を、自身の"欅坂性"を自覚していた。それでも彼女がアイドルとしての最期に望んだのは、櫻坂の現在を見せ、最高到達点を絶えず更新し続けることだった。
小林が歌うパート。
君は、小林由依であり、欅坂。
君を見送った僕は、櫻坂であり、櫻坂を見る私たち。
「あの花は僕が大好きだった人だ」に乗せて、小林はステージから消えていく。"あの花"と小林の欅坂性を重ねたとき、欅坂はもうそこにはいない。
小林不在のままで進んでいく桜月は、小林由依のいない未来、一期生のいない未来、欅坂性を完全に手放した櫻坂の未来を描く。
欅坂という美しい呪いに、柔らかに別れを告げる。
形は変われど美しく咲き誇り、この先も変わらずに咲き続ける。
ステージに広がるのは、小林の喪失と対峙して、四度目の春を待つグループの未来だった。
春が過ぎれば、桜が咲いていたこともすっかり忘れてしまうだろう。
それでも忘れてしまうからこそ、次の春に桜の美しさを思い出せる。
"あの花"の美しさを思い出す瞬間もまた、美しい。
小林由依と森田ひかる、始まりの追憶と櫻坂の現在地
続いて小林のソロダンストラック。アンビエントのトラックが小林が歩んできた過去を想起させる。
欅ポーズを掲げた小林の意思を継ぐように、森田ひかるは櫻ポーズを掲げる。
櫻坂初期の険しい道のりを思い出させるような、激しい森田のソロダンストラックからの『Nobody’s falut』。
「はじまりの歌」をパフォーマンスし、センターステージに向かい花道を歩くメンバーの姿は、同じ代々木の地行われたラストライブのNobody's fault、そして渋谷口へと歩いていくエンディングを追憶しているように思えた。
『BAN』ではエンディングポーズがオリジナルから変更され、森田と小林が背中を預け合う。小林はメインステージのモニターに映し出された自分と森田の姿を、満ち足りたような表情で見つめていた。
小林由依が卒業しても大丈夫と思えるグループになったのだ。
そしてライブは、森田が再び0番に立ったグループの現在地『承認欲求』へ。
虚構を抜け出して、"3度目"のハグを
今回の『Start over!』で特筆すべきは2番サビ以降のMV再現だ。
火花が散るセンターステージで、藤吉と小林がMVのために作られたペアダンスを踊り、MVの世界を再現する。
小林由依と藤吉夏鈴
今回のライブのMCでも語ったように、藤吉は小林とパフォーマンスすると心が動くと語ってきた。その発端は、同じ代々木で行われた欅坂のラストライブかもしれない。
ラストライブのドキュメンタリーでの一節。
藤吉はラストライブ1日目の公演終了後に小林のことを探しに行った、と語った。
最後の『黒い羊』で、小林が虚構の中に消えていくのではないかと憂えた藤吉。
『Start over!』では、その存在を確かめるように、決して離さないようにと、藤吉が小林を抱きしめる。
『Start over!』と『黒い羊』
『黒い羊』を引用するような『Start over!』のハグ。
"start over = やり直す"というタイトルと反時計回りのモチーフを多用するコレオグラフィーから、藤吉のハグが、小林と欅坂を重ね、ハグを拒絶した欅坂の「僕」を肯定する意味を持つことは明らかだ。
小林と踊る最後の『Start over!』で、藤吉はオリジナルの振付にない"3度目"のハグをした。
与えられた振付から、ひいてはステージという虚構から抜け出したアドリブのハグ。最後のハグは、藤吉も、小林も、笑顔だった。
そのハグは『Start over!』と『黒い羊』に流れる文脈を超えて、「櫻坂の『僕』が欅坂の『僕』を抱きしめる」という与えられた物語を超えて、あらゆる過去を肯定する。あの場に居合わせた欅坂一期生も含めた、二人の間に広がる世界を見た全員の過去を浄化するように、呪いを断ち切るものだったと思えるのだ。
それはまるで、トラウマの克服のために、その記憶を取り出し、過去は過去でしかなく、今の自分は大丈夫だと確認するように。
過去の記憶を浄化できるのは、いつだって現在を生きる自分だけだ。
希望の空気を、深く、吸い込んで
本編ラストの曲『隙間風よ』。
VTRでは、小林がMVにも登場した白いモノリスと対峙する。
ノイズは消え、彼女は風の音に耳を澄ませる。
小林が愛おしそうに見つめるのは、きっと彼女が生きた欅坂という過去。
映像と現実が交差し、ステージに現れた小林は、代々木の地に欅坂の遺灰を撒く。
彼女が祈るのは、櫻の大樹が満開になる未来。
櫻坂は小林由依という存在に別れを告げ、四度目の春へ向かう。
"大人になったその分だけ 青春を美化し続ける"
卒業に際したコメントで小林は、人それぞれの応援をすることを、人それぞれの生き方をすることを肯定してきた。
小林の居ない櫻坂の未来を愛するのも、小林が居た過去の櫻坂を愛するのも、それぞれの選択。そして欅坂という過去を愛するのもまた、選択だ。
ただ一つの事実は、全ては3年前のラストライブで終わっていたということ。
あの頃の欅坂はもうそこにはないのだ。
私たちは「大人になったその分だけ 青春を美化し続ける」。
しかし、美化し続けるからこそ、青春は美しいのだろう。
小林の去った先に待っているのは、櫻坂だけの未来だ。
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