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8月6日

今年も8月6日という今日がきた。どうも他県にいると気づきづらいが、原爆が広島に投下された日、そして平和式典が行われる日だ。黙とうくらいはしたことあるという方が多いのではないだろうか。

わたしは小学校の六年間を広島で過ごした。
もっとも8月はほぼ祖父母のいる福岡に帰省していたのだが、祖父が戦争のことを語るタイプだったことなどが関係して、黙とうはしていた。

小学校は新しく、わたしは卒業勢のなかの一桁だ。ここで何期生か書くとなんとなくどこの誰かわかってしまうくらい、当時は同級生が少なかった。

中学の年齢になると引っ越してしまうのだが、小学校では、毎年七月になれば(八月は夏休みだからね)原爆に関した平和を願う歌を手話つきで覚え、全校生で原爆に関した映画を観て感想文を書き、被爆者の話を直接聞いて感想を書き、千羽鶴を折って、原爆あるいは戦争の物語を読まされていた。
それがゆえに、わたしは原爆も戦争も、体験していないにも関わらず完全にトラウマだ。未来に被爆者がいなくなる前にすべてを遺さなければと思いつつ、その勇気がなく、長年やっているツイッターでも毎年呟いては翌日には消している。自分で読みかえす勇気がないからだ。

今年はNHK広島が、ツイッターで #ひろしまタイムライン というタグをつけながら、当時の三人の日記をもとに呟き続けている。今日でもう六日、原爆が落ちた8時15分を過ぎても、まだまだ更新されている。

そうだ、戦争も原爆も、その一瞬では終わらないのだ。

そんな当たり前のことを教えられている気になる。
さんざん学んできたのに。


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上記のことを八月六日に書いて、それから放置していた。
本当は被爆者からどういう話を聞いたかだとかを書こうとしていたはずなのだが。

いまから書けばいい、それだけの話なのだけれど、勇気が出てこない。
話してくださった被爆者の方々がどれほどの決意と勇気をもって話してくださったのか、これだけでも心が痛む。

そして、被爆者はとうとういなくなろうとしている。

わたしは「体験していないが、被爆者の話を聞いた世代」として、最後に近くなろうとしている。

九月になってしまった。
今年はコロナで平和式典も縮小された。

わたしは、戦争が憎い。
そして、おそろしい。

後世に伝えなければと思うのに、思っているのに、記憶はどんどんと薄れていくのに、いざ話そうとすると、言葉が出ない。
そんな自分を、ずっと恥じている。

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