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最後の山

8月7日、大詰めを迎えたオリンピックのニュースと対になっていたのは、デルタ株による感染者の増加と、それに伴う自宅療養者増加のニュースだった。

8月7日(土)発症9日目
04:00 体温:38.0度
10:00 体温:38.0度 酸素飽和度:96%
18:00 体温:36.7度 酸素飽和度:95%
23:00 体温:37.7度

アセトアミノフェンの多く含まれた処方薬がもらえたので、それを飲むと熱は下がり始めた。自宅療養の終了予定は明日の日曜日、発症から10日後または下熱から72時間後。

でも今朝も38度だし、こりゃダメかもなあと思い始めた。この頃は食べることをすっかり忘れていたし、食欲も全然なかった。奥さんが毎日うどんをつくってくれたけど、なかなか食えなかった。水だけをたくさん飲んだ。

8月8日(日)発症10日目
08:00 体温:36.2度 酸素飽和度:97%
11:00 体温:37.1度 酸素飽和度:96%
17:00 体温:36.8度

咳はあいかわらず出ている。一度出だすと止まらない。悪寒はもうだいぶ収まったんだけれども、まだどことなく背中がぞわぞわするかんじは残っている。

夕方、保健所から電話がかかってきた。今日いっぱいで療養期間終了予定だが、昨日の報告で熱があるため、3日延長になるとのこと。やっぱりそうか、しょうがないね。

8月9日(月)発症11日目
08:00 体温:36.3度 酸素飽和度:95%

この日はそうだ、オリンピック閉会式で祝日だったんだ。朝、男子マラソンで大迫の快走を見た。気持ちのいい走りだった。

熱はすっかり収まったのだけど、咳の頻度は増えている気がする。

その夜、22時過ぎだったろうか、酸素量の値が下がっている。何度測っても92%。88〜90%の場合もある。奥さんに報告する。

後に自宅療養の問題がテレビで多く流れるようになってから、酸素量90%というのが中等症IIというレベルで酸素吸入が必要な状態だということを知ったんだけれども、この時点ではそんなに深刻だとは思わなかった。咳はあるけど、特に息苦しさは感じない。咳込まないかぎり息を深く吸い込むことはできる。

が、家族曰く、顔が土色だと言う。
「いや、元々色黒なんだけど。」
「でも明らかに顔色悪い。」

いよいよ3つ目の山が来たか。

「……はい、お隣がSさんで、反対のお隣がFさんです。その間の家です。」
や、やばい、奥さんがまた救急車呼んでいる。またしばらくして救急車のサイレンが聞こえてきた。やれやれ2度目だ。

家の前でサイレンが止まる。この間とは別の消防署の救急車だ。青い防護服を着た隊員がまた3人入ってきた。ソファに座らされ、体温計、パルスオキシメーター、聴診器のお決まり3点セット。

熱はない。が、あれ……、酸素量が96%と出ている。
「うーん、悪くない数値ですね」
隊員が懐疑的な目でこちらを見るのがわかった。

エンジンの調子がどうにも悪いとか、エアコンから熱風しか出なくなって困り果てて修理屋に行き、いざ整備士の前でエンジンかけると全く不調が出ずに絶好調!という、あれと同じだ。

試しに、自分のパルスオキシメーターを持ってきて挿してみる。92%。救急隊の機器を別の指に挿すと90%前後を行ったり来たりするようになった。ボクのも救急隊のも同じ数値を示しているので、間違いはないだろう。
今度はボクが、このパルスオキシメーター大丈夫なの?という目を向けた。

「なるほど。」
「ご承知のとおり、現在医療が逼迫しておりましてですね……」

また例の説明が始まる。
一応、医者に診てもらえる可能性があるなら診てもらいたいので、探してもらうことになった。

「では、このままお部屋でお待ちください。」
隊員たちは、わが家の前で赤色灯がまわり続ける救急車の中に戻っていった。

それから1時間半。自分の寝床から外を見ると、あいかわらず暗闇の中に赤色灯が回ったままだ。ご近所さん「何ごと⁉︎」って思うだろうなあ。

「搬送してもらうのは無理じゃない? あした電話診療をもう一度試す方が可能性があると思う。それにもう1時間半だよ。もっと緊急な人がいるかもしれないし。」

緊急時の咄嗟の判断は、だいたい嫁さんの判断が正しい。そこは信頼している。なので言われるがままに。

「そうだね。」
「じゃあ救急車もう断ってくるね。」

その時点で救急隊は12件、問い合わせをしてくれていた。そしてすべて断られていたそうだ。(すみません、ありがとうございました!)

8月10日(火)発症12日目
08:00 体温:36.5度 酸素飽和度:92%

翌朝、電話診療を受けた。今度はよく話を聞いてくれる女医さんで、午後には近所の調剤薬局で奥さんが薬を受け取ってきてくれた。

咳を抑える薬、粘膜調整剤、気管支拡張剤の3種が処方された。なかでも容器から吸いこむ気管支拡張剤の効果がてき面だった。咳が和らいでとても楽になった。

このあと酸素量は徐々に正常値に戻っていく。

結局、肺炎になりかけていたのだろうか? ボクとほぼ同じ日に発症したと報道されていた野々村真は、肺炎で入院しているという。自分がそうならなかった理由は何なのか? と考えてみてもわからない。単純に運がよかったのだろう。

この、酸素量低下が14日間の療養の最後の山となった。

8月11日(水)発症13日目
08:00 体温:36.6度 酸素飽和度:95%

体温と酸素飽和度の記録はこの日で終わっている。

療養期間が解除になった頃はオリンピックが終わって、また梅雨空が戻ったような雨続きだった。その長雨が終わった頃に、いつものランニングコースを走ってみた。普段の半分ぐらいの距離だ。

意外と走れる。心肺もそんなに辛くない。いつもの里山まで来ると、田んぼの稲はすっかり穂を出していた。台風のせいで風が強い。稲と、里山の木々が風にゆれている。夜なので蝉の鳴き声よりも鈴虫の声のほうが大きかった。

全身で風を受けてみる。健康だというのはいかに素晴らしいことか。

感染したくて感染するわけではないので、あまり謝らない方がいい、という話もあるけど、やはり罹患すると多方面に迷惑をかける。発症直前に会った人にはPCR検査を受けてもらったし、家族にもだいぶ迷惑をかけた。娘は2週間、奥さんは4週間、出社できなかった。

療養が終わる頃がちょうどお盆の時期だったので、そこで実家の両親に連絡した。8/12は父親の80歳の誕生日でもある。

「実はコロナにかかっちゃってさ、お盆は帰れないわ。オヤジのお祝いもしないといけないんだけど」
「えぇー!どこでもらったん!」

と母親。
どこで……、ってこっちが知りたいわw
いろいろ聞いてくる母親にうんざりしてると、最後に父親が電話を代わった。

「(人にうつしたり)人に迷惑をかけないように、細心の注意を払わないといかんな」

はい、たしかに。
そのとおりです。

野々村真もそうだったけれども、新型コロナから復活した芸能人が、復帰の挨拶の中で判を押したように言うのは、「医療従事者のみなさんの献身的な治療のおかげで〜」というフレーズ。これは決してカンペで言わされてるものではなくて、心から発してる言葉だと思う。

ボクが見た、電話で話をした医療従事者の人たちも、患者を思いやりつつ自分のできる限りのことをしようとしてくれる人ばかりだった。終わりの見えない、いつまで続くかわからないこの状況のなかで、彼らは大丈夫なのだろうか。

えらい方々、どうか柔軟で、「意思」のある対応をお願いします。※「その場しのぎ」じゃないやつね。

ずっと寝込んでいた仕事部屋。また何らかの病気になったとしても、もうここで寝ることはできないかもしれない。あの、悪寒に悩ませられた記憶が蘇ってきそうだから。

今日もあいかわらず茹だるような暑さで、蝉がうるさく鳴いているけど、もうすぐ2021年の、50歳の夏が終わる。

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