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「暇」の過ごし方

コロナウィルス騒動は留まるところを知らず、最近は週1ペースでnoteを書いているが、状況もさることながら書く僕の気持ちも時々に大きく違う。リアリティは本当に生モノで、いくら東京の感染者が●●名と言われても、あの指数関数的な棒グラフと僕の心の体験は違う。

僕個人、3月以降だいぶ時間ができた。それは、いくつかの対面や参加者が集合する仕事がキャンセルになったことや、コーチングもオンラインに集約されていったり、打ち合わせなどもやはりこの状況で先送りになることも多々。

以前に比べてだいぶ「暇」だ。

これを読んでるあなたは「暇」?

暇ってなんだ

「暇」って言葉のネガティブなインパクトは一般社会において、特に生産性至上主義的な人たちにとっては凄まじいものがある。無能とか、能天気とか、「自分次第でいくらでもやること見つけられるだろ!」的なお叱りをうけそう。

僕、今「暇」です。

ってうかつに言えない職場、家庭も多いのではないか。

でも実際今、コロナウィルスのニュースや、オンラインの可能性ばかりが流れてくるタイムラインを見ながらこれまでよりも「暇」な時間を過ごしているのかもしれない。

「暇」。

結構有名な話だが、学校の「school(スクール)」はギリシャ語の語源では「schole(スコレー)」であり「暇」という意味。スコラ哲学。あくせくやることだらけで忙しい人は哲学どころじゃない。

そう学ぶには「暇」が必要。

今は本質的な学びの時。

先日あるセッションでクライアントである大手企業の事業責任者が、テレワークが進み海外出張がなくなり、今までの忙しさはなんだったのか?という軽いショックとともに、これまでにないような時間の余裕があると言っていた。

「これまで不要不急なことばっかりやってたのかもしれませんね。」

そんな会話とともにこれまでのコーチングにはないような、ゆっくりとした会話が1時間続いた。

「今はあまり答えを出すとか、次に向けてというよりも「本当の働き方って何だろう?」とかそんなことを考える時期な気がしますね。」

僕のクライアントの中でも忙しい部類に入る彼から出た、とても印象に残った言葉。共感。


どうやって「暇」を過ごすのか?

普段できないような本質的な学び。直感としてかなり意識的にスローダウンする時。反応的にならない、速度を落としてよーく見る、感じる。

意識的に何もしない、時にそういったことが大事じゃないかと思っている。

生産性をあげても幸せにはなれない


これまでのパターン、資本主義にある常に生産性をあげようという、駆り立てるような思考は今本当に怖い気がする。孫泰造さんの話は無意識に僕らに流れる工場のような思考を言い当てている。

「コロナをチャンスと捉えよう!」

「オンライン時代の生産性を高めるための5つの方法!」

心からそういう気持ちがあればいいが、反応的な前向き思考にはNoを言う。

まずはそのままを受け止めたい。進むのはその後。

「半分しかはいっていない」でも「半分も入っている」でもない。

コップの水は見た通り「半分はいっている」だ。


暇を埋めない

この話をしていてコーチとして独立した先輩の話を思い出す。

彼女は普通の会社員から独立してコーチになった。独立当初今まで会社で仕事をしていた時間(おそらく月ー金の9:00-17:00)をコーチングセッションで満たすことにチャレンジしていた。

ただすぐに、うまくはいかない。セッションで埋まる日があれば、そうでもない日もある。

彼女には空いた時間をどう使うのか明確なポリシーがあった。

それはコーチング以外、例えばその場しのぎなお金稼ぎや、気を紛らわすようなことで埋めないこと。

そして空いている時間を過ごしている自分の気持ちや感情をしっかり体験することだった。喜び、痛み、不甲斐なさ、そこには様々な気持ちや感情があったはず。

これにはインパクトを受けた。

同時に空いた時間にこそ今の自分に必要なことを経験できるということを教えてもらった。

僕も独立翌年の震災後は「暇」な時間があった。だが変に前向きにしたり、不安を紛らわすために忙しくすることをしないでいることができた。

普段考えないことに意識を向けてみたり、吉本隆明の本を読みあさったり(暗い)。何のためにコーチングをしているのか考えるいい機会になった。そういったことの発信もした。

同時に自分の感情や気持ちにもとても気付くことができた。

不安な気持ちも恐れもあったが、なんとかなると言う楽観的な気持ちやコーチングに大きな喜びがあることも経験した。

人間らしいリッチな時間。今も時代の狭間、学ぶための「暇」がある。

常に生産的で、前向きでいることを強いられ、テクノロジーで豊かになっているという幻想、世の中の限界を今体験してるんじゃないかと最近の「暇」な時間から思う。


今回のブログタイトルはスチャダラパーの名作から。一部抜粋、すごいことは「暇」が起こす。

「ヒマのすごしかた」 スチャダラパー
本来ヒトはヒマだった
そしてそれを受入れる事が出来た
世界中のいたるところその足あとを
見つける事が出来るだろう
大仏 ピラミッド
巨乳 万里の長城
この世の多くのデカいものの
発想自体 ヒマのたまもの
地図を作ったやつのゆとり
なみたいていのものではあるまい
うるう年に気づいたやつのヒマさ
かげんを想像してみろ










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