見出し画像

人と会社は対等でいれるのか?兼業/副業から始まる新たな企業との関係

僕の中の根底にある問い

独立してもうすぐ10年。よくもまあ無計画な状態でのスタートから今まで続いていることに自分自身驚いている。これは収入的なことももちろん、自分が喜びのある仕事を続けていられていることも。

面白いもので自分がなぜこの仕事、コーチングやリーダーシップ開発、組織開発ということに喜びを感じているのか本当に言葉にすることは難しかった。

正直に書く。

少なくとも

「誰かのために」という感覚はない。(人の役に立つことはもちろん喜びはある)

「組織をよくしたい」もない。(組織が変わっていくことに貢献することはもちろん嬉しい)

「会社の業績を上げたい」もない。(結果、成果が出ることは素直に喜べるし、それを無視してやるつもりはない)

「幸せな職場を作りたい」は微塵もない。(幸せという言葉が苦手w)

じゃあ、なんでやってるのか。


自分の根底に長く持っている問いがあることに最近気づいた。

「人と会社は対等にいれるのか?」

本来は様々なシステム(会社、団体、国、権力者などなど)との関係を現したいのだが、今回は会社という文脈で書く。

対等という意味は「お互いが本来の力を発揮できる関係」ということだ。

その人らしく、過度なエネルギーを使わず、信頼と力強さが現れる。

気がつけば長い間僕は「人と会社は対等でいれるのか?」という問いをもっていた。
同時にそれは「対等でいることができたら、きっといいに違いない」という半信半疑の裏にある「願い」でもある。

それを目の当たりにした時に心が動いた沢山のエピソードがある。

●リクルートに入って当時の社長だった位田さんが銀座の街中で若い社員に、「位田さん、位田さん」と呼ばれてちょっといじられているようなシーンを見て衝撃を受けた。

「よっ!位田!」
少し間があいて
「さん!」

完全にいじられてる。でも、いい雰囲気だ。

リスペクトやユーモアはあるけれど、偉そうな上司の雰囲気や遠慮、建前がないところが本当に魅力的だった。


●尊敬していた先輩が転職して、新しい会社の社長にお世辞を言っているのをみて愕然とした。

僕の知っている先輩らしさはその瞬間微塵もなし。お世辞を言われているその社長のご満悦な表情も気持ちが悪かった。でも転職間近の先輩にとっては致し方ないことなのかと思って何も言えなかった。

●去年カリフォルニアでGoogleの本社「グーグルキャンパス」を見学して、名が表す通り、まるで大学のような雰囲気だったことが印象に残った。

上司部下と言うよりも学び合う仲間の集まり。そんな意味合いが雰囲気からも伝わった。その後会社のことを調べると規模の割に、組織がとてもフラットなことも知った。

画像1

●「会社だから」という枕詞の元、多くのことを諦める人たちを見て「会社は人を幸せにしない」と決めつけていた時期もある。

●仲間と立ち上げた「独立マインド」。「あなた自身の人生、こそこそせず堂々と表に立って生きること」というコンセプトで3ヶ月の実践と学びのワークショップを実施しているのも「対等でいること」から来ている。この学びを一つのきっかけに様々な人生の変化があった人たちをたくさん見た。感動した。

画像2

●CTIで学んだコーアクティブ・コーチングに没頭したのも、お互い役割はあってもクライアントと対等な立場でお互いが本領発揮するところだったのかもしれない。

「導く」「気づきを与える」

コーアクティブ・コーチングではこういう言葉が使われないのも、対等でいることを体現しているように感じた。

画像3

とにかく僕は「対等でいること」のにとても気持ちを動かされる。そこに触れると喜びも悲しみも全部あらわになる。

結局のところ、何があったら対等な関係になるのか?僕の場合のヒントは会社員時代に行っていた副業のコーチングだった。

副業/兼業から始まる会社との対等な関係

副業/兼業、もう一つ仕事を持つことは所属する会社を基準にするのではなく、自分自身を基準にした人生を送ることに大いに役立つ。

もちろん僕の一例。個人的お勧め。

僕の経験や、周りで実践している人たちを見ているといくつか考えるといい観点がある。


1、本業につながるかどうかあまり考えない

意外にここでハマる人が多いのではないか。

「それやってどうなんの?」

女をブスに、男をおっさんにしていくこの言葉。

今の会社の業務や想定範囲内のことに関係あるかどうか?が前提にあるのだとしたら、会社と対等な関係とはいえない。会社の枠からはでないという無意識な自由の放棄。

自分の心が響く、動く、美しいと感じる、予測はできないがこれまでと違う何かがありそう、こういったことに素直に動くのが大事。

これはあなたの人生におけるシナジーを発揮する場所ぐらいに思った方がいい。


2、自分の根底にある問いを探求する

ここまで書いた通り、僕は自分の根本的な問いが明らかになるために、副業時代2年、独立してから10年弱、合計12年。
長い、あまりに長いw

ただ、これは言葉を明確にすることが目的ではなく自分を動かしている問いが何かに意識を向けたり探求すること自体が意味があることは体験的にわかる。そして同時に自分に響かないものが何かもよくわかる。

副業時代、コーチングはうまく行ったり、行かなかったりしたが自分には響くものがあった。

アートシンキング:未知の領域が生まれるビジネス思考
エイミー・ウィテカー<著> 

第三章 「灯台の光が照らす先への中」にはこうある

緩和ケアの介護士ブロニ ー ・ウェアは 、死の床についた人々の後悔の声をまとめた著書 『死ぬ瞬間の 5つの後悔 』の中で 、もっとも多い臨終の声は 、 「本当はもっとちがう人生を生きたかった 」というものだと書いている 。自分に正直に人生を生きることは 、あなたにとって重要な問いを大切にしながら生きるということだ 。それが義務から生まれた問いであれ 、可能性から生まれた問いであれ 。大きな問いに見えようとも 、小さな問いに見えようとも 。そこにあなたならではのオリジナルな貢献ができると信じていれば 、あなたが行くべき方向を照らす灯台という出発点を定めることができる 。

問いの力は大きい。


3、金銭的比率と気持ちの比率

新しいことを始めるので、金銭的な比率が本業と比べて低いことは致し方ない。
僕自身も副業時代最後は月に10万円前後コーチングでの対価があった。ただ本業との比率でいけばそこまででもない。
前書いた通り、最初は1回¥3,000- からスタートしている。(人生を変える¥3,000-

ただ、気持ちの比率でいえば、本業も副業も変わらなかった。
本業を蔑ろにしてもいない。ただ同じくらい、いやそれ以上にコーチングがどうしたらもっと機能するのか、楽しくなるのか、提供できるのかを考えていた。

空いた時間でやるのではない。
コーチングの学びを進める、セッションの時間をとる、そのために時間をつくった。

本業=メイン
副業=サブ

ではなく、全部あなたの人生の一部。


4、試行錯誤できる余白があること

会社にいて難しいことは本当の意味で試行錯誤することだ。それには失敗も含まれる。「失敗をたくさんしよう」的なスローガンを掲げている会社でどのくらい失敗をできる空気があるのか。

「本音で話そう」と突然言い出す上司くらいあてにならない。


前出のアートシンキングの中にこういった記述もある。

「馬から落ちたことがない」ということは、「自力で鞍に戻れることをまだ証明していない」ということでもある。成功体験のせいで「立ち直る力」というマッスルメモリーが欠けている。得意な分野があるというプレッシャーも背負っている。過去の栄光は、あなた自身の方位磁石を検証する能力をゆがませる。この状況を打開する方法の一つは、新しい何かに挑戦することだ。エイミー ウィテカー. アートシンキング 未知の領域が生まれるビジネス思考術

この力が、リスクをとることを後押ししてくれる。リスクが取れる準備があることは会社と対等でいることに必要な要素だ。

コーチングフィーの値上げをすることはチャレンジだった。特に既にコーチングをしている人に値上げを伝える経験から多くのことを学んだ。それを伝えると明らかに不満になる人もいた。対等な立場ではなく、顧客というスタンスでマウントを取ろうとする人としっかり話をして「No」をいうことも体験できた。

痛みもあったが筋肉もついた。

自分の力を無意識に誰かに明け渡すところを見るのは本当に悲しい。自分もそんな気持ちがありながら、以前は無意識の諦めのようなものがあったと思う。

そういうもんだと思っていたし、自分にはパワーがないと思っていた。

副業でコーチングをしたことは、その後の自分の進む方向やあり方に大きな影響があった。

人と会社がより対等な関係に向かうと、会社も幅を広げることになる。新たなことに適応していく機会、進化だ、ダーウィンだ。

会社に依存していない、リスクを取れる、会社に対して「No」の選択肢がある。そんな人たちのいる会社は魅力的に違いない、という思い込みを大事にしていきたい。

そう思うと週末の副業/兼業コーチ オンラインサミット、楽しみ。

この記事を読んで、支援したいなと思っていただいたみなさん。このブログは僕自身や、僕が熱がある領域に関して自由に書いてます。サポート、いいね、スキボタンを押していただいたり、SNSでシェアしてもらうと猛烈に喜びます。リアクションをお願いします。