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カリフォルニアよりも遠い世田谷

ディスタンス


直近約2ヶ月、こんなに猫の目どころではない、凄まじい変化というか意識変容が進んでもういつからそう思っていたのかよくわからないことだらけになってきた。

様々な意識の変容の中でソーシャルディスタンスという、少なくとも都会では、ほとんど意識しなくてもできるようになっているもので、僕らの一部になり始めている感じさえある。

"Distance"、この言葉、実はこのコロナが起きるまで僕の中であまり口にした印象がない。僕はこれまで距離の話をしなかったのか?

ディスタンス?星空の下の、、世代的にはどうしてもこうなる。これあまり関係ない話。

今やすっかり日常的に聞くし、使うようになった"Distance"、距離について強く感じることがある。

モバイルの中のグローバル


様々なことが移動を伴わずオンラインで行えることで、グローバルがこれまで以上に身近なものになった。そう、近くなった。モバイルの中に全てある。多くの人たちもこのことを感じている、そして日常になっている。

世界中どこにでも気軽にアクセスできるという意味だけでは無い。効率化を信じて集中していたものが一気に解放されたとも言える。


地方に住む知り合いのコメントは印象的だ。

「これまでは東京で様々なイベントがあっても参加できなかったり、コストがかかったけれど、今は好きなものにこれまでより低いコストで参加ができて嬉しい」

これを聞いて思うのは、ただのアクセスの話だけではなく、都市への機能集中から来る特権志向やエリート意識からの脱却なのかもしれない。

この距離について感じる身近なこととして、ぼくが所属するCTIのヘッドクオーターがあるカリフォルニアが主催するグローバルのミーティングがある。

主催はカリフォルニア、15カ国以上、北米、ヨーロッパ、アジア、中東、様々な物理的な場所、そして起きていることの違いから来る感情の居場所を一つの画面で共有することができている。比喩的な表現ではなく、世界が一つの画面に。

多様な場所から参加した、多様な人たちのZoomギャラリービュー記念ショットもすっかり当たり前になってきた昨今、グローバルは本当に近くなった。というか、モバイルの中にある。


遠い世田谷


僕の家は目黒と品川の境目にある。世田谷に住んでいる親父の家までは自転車で行けば25分。まあまあ近い。

同時に僕にとって今一番遠い場所、でもある。

この緊急事態宣言が始まる前から、かれこれ3ヶ月以上親父に会っていない。毎年墓参りに行くお袋の命日も一緒には行かなかった。

もちろん連絡はしている。

昨年からの親父のITリテラシーの向上は素晴らしいもので、電話→LINE電話→LINE画像付き通話、と進歩、コロナ凄い。顔近い。

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ただ、元気とはいえ高齢で疾患がある親父に気軽に会って何かしようとか、「とりあえず行くね」とは言えない自分がいる。

自分が感染させる側になる可能性が排除できない中、実際に会うという一歩にウイルス同様見えないそして大きな"Distance"がある。

そう、間違いなく僕の中では今、世界中のどこの場所よりも世田谷の親父の家が遠いのだ。

先日参加したProject forwardというアフターコロナ(AC)にどのように僕らは世界と協働することができるのか?ということを考えるイベントでも、世界中にいる日本の人たちから様々な声を聞いた。

「東南アジアに仕事で駐在しているが当面日本に戻ることができない。もし自分の父親に何かあったときは死に目には会えない」

「中国に家族で暮らしていたが、コロナで自分だけが日本に戻ってきて、家族バラバラに暮らす状況になって久しい」

個人と個人の距離は近くなったけれど、国と国の距離は遠くなった。

いつもはすぐ近くに居た、同僚や上司との距離も遠くなった。

遠くにあったものは近くなった、けれど、近くにあったものは遠くなった。

先々僕らは自由に好きなところへ行き来することができるのか、正直わからない。バーチャルはもうバーチャルじゃないし。自分で書いていて気付くことは実際の物理的な距離とかの方がリアリティがない状態になっている。

カリフォルニアより世田谷の方が遠い。これは比喩的なことではなく、僕の中では事実。今一番のリアリティ。

世田谷に自由に行き来できるのが先か、親父がVRを使いこし、会わずして会ったような身体感覚を獲得するのが先か?

この数ヶ月の経験から、これもあり得ないとは言えない。






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