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「答えの出ない事態に耐える力」 ネガティブ・ケイパビリティを読んで

街での会話はタピオカからすっかりコロナウイルス一辺倒。


危機の中心は欧米に移行、特に西ヨーロッパの状況は凄まじい。死亡率などをみると世界で日本の次に高齢化が進むイタリアとはいえあまりにも高い。すでに中国で発生したコロナウィルスから変異を起こして強力なものになっているのではないかとも思えてしまう。

個人的にはユーロ2020(サッカー)が延期になったことには衝撃を受けた。

W杯、オリンピックにつぐ規模を持つ4年に一度のイベントがこうも簡単に延期する状態を誰が予測できるだろう。もちろん、オリンピックも限りなく怪しくなってきた。

今体験していることはほとんどの人にとって初めての体験だ。今後のことは誰も正確な予測などできない。そして解決策もわからない。

さて、記事のタイトルにある

ネガティブ・ケイパビリティ
ー答えの出ない事態に耐える力ー
朝日選書 箒木蓬生(ははきぎほうせい) 著

コロナ騒動の少し前にクライアントに紹介してもらい読んだ。

ネガティブケイパビリティは詩人ジョン・キーツが19世記に発見した概念。

昨今、即時の解決が不可能な地球規模の課題には長期的に取り組む必要があり、すぐに答えを出そうとしない態度の重要性から、この考えに脚光が当たっている。

今回の著者である箒木さんによれば、

「どうにも答えの出ない、どうにも対処のしようのない事態に耐える力」

あるいは

「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」

と言っている。

デビット・リンチ映画マニアの僕にとっては、この能力は必須。不思議さと懐疑の中にいる必要がある。ツインピークスはきっと10数回全編見たが未だ謎なまま。マルホランドドライブも、主人公の・・・

もとい。

今のこの状況、まさに僕たちにとって必要な能力、態度ではないか。コロナウィルスが収束したとしてもVUCAな時代であることに変わりはない。

ただ、著者はこの能力は人間の本能に反するものだと言っている。

人間の脳はわからないものや不確実なものに耐え難く、あらゆるものに仮の答えを見つけたいという欲望を持っています。問題をせっかちに特定しない、生半可な意味付けや知識でもって解を見出さない、宙ぶらりんの状態を持ちこたえることは苦手なんです。だからこそ、複雑なものをそのまま受け入れられずに、単純化やマニュアル化をしてしまう。答えがないものや、マニュアル化できないものは最初から排除しようとする。そうすると理解がごく小さな次元にとどまり、より高い次元まで発展しない。その「理解」が仮のものだった場合、悲劇はさらに深刻になります。    WIRED 2020 vol.33  The Art of Negative Capability より

人の脳がこういった特徴があるのであれば、宙ぶらりんな状況を周りが許さないことも多いかもしれない。

会社は曖昧なものを許してくれないことも多い。そうすると、答えを出せないものは排除、なかったものにしたくなる。

自分の体験として、今僕が仕事をしているCTIという組織は2年前に大きな体制の変更を行った。分かりやすくするために簡単に書くと、CTIで行っている事業運営を見るチームを廃止した。

普通の会社で言えば、事業責任者がいない事業部(?)そんな感じか。ようは最終的に意思決定をしていくチームが無くなって全てのことをCTIに関わっている人全員で当事者意識をもって意思決定して進めていこうということ。

よく言えばホラクラシー、ティール的。

同時に事業運営上のルールも変えた。普通であれば、事業運営をみるチームがそれをまずは取りまとめて、全体に浸透させていく。

だが今回は誰も特定の決める人はいない。


新体制に移行してすぐの頃起きていたこと。

色々話す、アイデアを出す。

「これって誰が決めるの?」

「まず、どう決めていくかを話すところからだね。」

「どうやって決める?」

「・・・・。」


進まないw。


この事業に参加している人全員が当事者意識をもって、一人一人喜びから働くことを目指しているという大きな目的があった、そのことは理解している。ただこの始まってからの半年くらいはみんなフラストレーションもあったと思う。

「やっぱり、事業運営をみるチームはあったほうがいい」

と、これまでの経験をもとに一つの答えを出したり、そこに当てはめて行くこともできたかもしれない。

今思うと、僕らの組織の強みはネガティブ・ケイパビリティなのかもしれない。

事業を進めていく必要もあるので、こういった状況でも出来ること、ベストは尽くす。

ただ、経験的なことなどから「答え」を出すことをやめて、ある意味で「宙ぶらりん」な状況にとどまり続けた。以前のような体制には戻さなかった。

もちろん、様々な課題と感じることは今もある。同時にこの状況にとどまり続けたことで進化したり、視点が変わったことも沢山あった。

多くの人が経営的な観点を持つことの意味や変化、2年前とは全く違う動きが今は当たり前になっていることも多数。

全員当事者で事業を進めるということに関しては頭の理解よりもはるかに確かな肌感覚的な手応えがある。

きっと、人間の脳の本来の欲求だけだったら、今みたいなことは起きていなかったと思う。

著者はもちろん課題を解決する力(ポジティブ・ケイパビリティ)を否定はしていない。両方大事、だけど本能に反する方向だとするなら相当意識が必要なんだろう。

著者はネガティブ・ケイパビリティは「迷う能力」と言い換えられるとも言っている。

迷いを排除するために、マニュアル化が大手を振っている時代です。迷いの中から生まれる思索や認識なりが軽視され、迷うこと自体が悪だと思われています。でもネガティブ・ケイパビリティは迷ってもいいということですし、時間軸をなくしたものの見方とも考えられます。

なんか、いい。

例えば、ギャンブル依存症は近位と遠位の報酬経路が崩れることが原因だと言われています。遠位の報酬とは、今勉強すれば良い大学に入れるという遠い未来を考えるもので、近位は目先の報酬を求めてしまうこと。ギャンブル依存症の方は近位報酬が遠位報酬をハイジャックしている状態。今短期的な問題解決や答えばかりを志向してしまう人間は、ギャンブル化した脳みそになっているかもしれません。
WIRED 2020 vol.33  The Art of Negative Capability より

精神科医でもある著者の観点もとても面白い。

そっか、僕らがすぐに目の前の問題解決に飛びつくのは、大当たりの快感を求めてスロットを打つのと似ているのか。

このコロナウィルス騒動、目の前のできることを行う以外に、本当にどうすることもできない。これは表出している象徴的な出来事なだけで、実際の世の中も解決なんかとてもできないことばかりとも言える。

ネガティブ・ケイパビリティは諦めることを意味していないと著者は念を押している。

今は変えられないとしても、その不確実な状態に努力して耐え、希望を見出していく態度です。

そもそも、ネガティブという言葉がついた、とても前向きな態度である。この一見矛盾しているような言葉の不思議さや神秘的な感じは素敵だ。


「どうすればこの能力を身につけられるんですか?」とよく聞かれますが、それ自体がマニュアル化に毒された考え方ですよね。この概念があると知り、頭の中に入れて耐え続けるだけでも充分なんです。                 WIRED 2020 vol.33  The Art of Negative Capability より

最後に見事なオチが。まさにギャンブル依存症。

僕らは何かあればHowばっかり。それはすでに答えがある前提だから「どうやるの?」と聞いてしまう。

できない状態に留まる。

「効率化」という名の元に「本質を失う」ことがたくさんあるんだろう。




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