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36年の歴史に幕。

父は小さな中華料理屋を営んでいた。

昨日でその店を閉めた。

私がまだ保育園だったころ、毎週日曜日になると、家族で物件を探しにいった。週に一日しかない休みの日に、一日中空き店舗を見て回る。

見た数は、優に200件を超え、工場地帯にある小さな一軒家に決まった。

娘を転校させまいと、小学校入学に間に合うように、店舗を探したのだ。

一軒家の1階を店舗に、2階を家族の住まいにした。

家に玄関はなく、いつも店ののれんをくぐり、家に上がる。
学校から帰ると、厨房にいる父がいつも「おかえり」と言った。

店の入り口を通り、常連さんに「こんにちは」と挨拶する。同級生や学校の先生が食べに来ていて、店を通って家に上がるのが、恥ずかしくてたまらなかった。

大学生の頃は、店を手伝い、小遣いを稼いだ。

近所の会社の常連さんたちは、「家族で一緒に働けていいですね」とか、「優しいお嬢さんですね」と声をかけてくださり、「店が忙しくて、ほっといたわりに、いい子に育ってくれました」と、両親はいつも嬉しそうにしていた。

16席しかない小さな店だったから、大勢で飲みに来てくれるお客さんはいつも予約の電話をくれた。予約の時間になると、「作っといたで」とサービスで春巻きや焼き豚をテーブルに並べる。

初めて居酒屋に行き、つきだしにお金を取られたときに驚いた。うちの店は、つきだしがサービス。しかも、小鉢にちょっぴりなんかでなく、大皿が一皿、二皿。たまに、まぐろの刺身なんかも出た。

「店の儲けより、人を喜ばせることが大事」
「お客さんがな、うちのファンになってくれるねん」

この2つのセリフは、何度聞いたことか。
父の経営理念とでもいうのだろう。

職場の先輩も、うちの近所に用事があるときは、いつも店に食べにきてくれた。

「子どもと3人で、焼き飯ラーメンセット、650円を二つ頼んで1300円。ほんで、帰りにお母さんが、子どもらに、『ジュースでも買ってね』って、500円ずつくれる。1300円払って、1000円もらって、帰ってくる。儲け全然ないやん(笑)」

近所のママ友も、晩ごはんができないときは、お持ち帰りをしてくれた。

「子どもと2人だけの晩御飯やから、ギョーザ2人前だけ買いに行ったら、お父さんが、『今日は寒いやろ。中入って、スープ飲んで、待っててな』って、焼き飯についてるスープを飲ませてくれて。うちの子、あのスープ大好きやねん。ほんで、いつも帰りに、『明日おやつ買ってもらい』って、100円くれて」

学生時代、友だちも、よくうちに来ては、ごはんを食べて帰っていた。

「学生時代はな、お金ないやろ。腹いっぱい、飯食いたいやろ。あるもん、出したるだけや。食べれるだけ、食べて帰り。」

ギョーザ、焼き飯、からあげ、かた焼きそばと、食べきれないほどの料理を並べてくれた。

「お腹いっぱい食べさせてもらったって、それが思い出になったら、それでいい。人に大切にされた思い出は、一生忘れへんからな。そしたら、その子も、また人を大切にできるやろ」

そう言い、娘の友だちから代金をもらうことは一度もなかった。

自分の儲けを一切考えず、人を喜ばせるためだけに、やってきた36年。店じまいをすると、張り紙をしたのは、2週間前。

最後の2週間は、常連さんだけでなく、開店当時バイトしていた兄たち(子どもの頃は、家族のように遊んでもらっていたので兄と呼んでいる)、娘の同級生、近所にお住まいの方々、近隣で働く方々、数えきれないお客さんが、最後を惜しむように食べに来てくれた。

そして、みなさん、帰り際には涙を流し、「寂しいです」とお礼を言ってくれたそうだ。

店には、たくさんのお花、プレゼント、色紙もいただいた。
これほどまでに、多くのお客さんから愛されていたのかと、ありがたい気持ちでいっぱいになる。

きっと、父の店は、みんなの「心のよりどころ」だったのだろう。

お客さんから、こんなにも惜しまれて、感謝される店はどこにもない。父の店は、日本で一番幸せな中華料理屋だったと思う。


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