ネガティヴエンジン

 締切に無事間に合い、その後新たな締切が出来る。大学というのは、そういうものだ。一難去ってまた一難、苦労して乗り越えた山の先に見えてしまったもう一つの山。もうやだ。そんなわけで今日も逃避してみた。まず、今日あった出来事から話そうと思う。


 今日はゼミで発表をした。最初のnoteで言っていた締切が迫っているものは、そのゼミで使用する発表資料だった。

 当日、つまり今日の朝のこと。洗面所の前で吐きそうになった。僕は緊張しぃ(人前に立つと尋常じゃなく緊張する人間を指す)である。そもそも僕自身が対人恐怖が強い人間ということもあり、2つの相乗効果で僕のメンタルに「こうかは ばつぐんだ!」という感じだ。でも大丈夫。今日のために徹夜をしてカンペを作った。もし緊張して言葉が出せなくなっても、カンペだけ、下だけ向いていればなんとか喋れる。

 さて、発表本番。周りを一度見回して、口を開く。

 必死に感情を取り繕って、笑顔を作って、そして出来るだけ分かりやすいように資料に補足を入れた。幼少期から培われてきた自己制御能力はダテではなかったようで、折角徹夜で用意したカンペは結局殆ど使わなかった。だけどその労力は決して無駄じゃなかった。

「どんなに言葉が出なくなっても、僕にはこれ(カンペ)がある」という安心感は、僕の舌に油を差してくれた。文献を読んだ時に記憶していた情報がスラスラ出たし、先行研究で出されたデータを元に色んな説明が出来た。

 発表が終わった。もう一度周りを見回しても、寝ている人は誰もいなかった。なんとか退屈な発表にはならずに済んだようだ。この時の達成感は、思わずガッツポーズをしてしまいそうになるほど大きかった。

 しかしまだだ。まだ油断は出来ない。なぜならゼミの発表というものには質疑応答というシステムが組み込まれているからだ。

「はい、じゃあ質疑応答ね。質問や感想がある人」

 …………………………。


 誰も手を挙げない。


 そう、僕が所属するゼミ。一部例外を除き質問をする人間がいないのである。講師が振らない限りダンマリを決め込む生徒が殆どで、自分から手を挙げる者はほぼいないといえる。しかもその一部例外は僕と同じ日に発表をするため、質疑応答が免除されるのだ。

 僕は勝った。やったぜ。


 

「当日僕は言葉が出なくなるかもしれない」

「ちゃんとやらないと皆に嘲笑われるかもしれない」

「先生からの評価が低くなるかもしれない」

「僕の後に発表する人に迷惑をかけちゃいけない」

 今回、主に僕を突き動かした感情を4つ上に挙げた。僕の原動力はいつだってこういったネガティヴ思考だ。自分は大した人間じゃない、価値のない人間だという自己卑下と、自分は他の人間よりも劣っている、という劣等感が僕を動かしてくれる。ネガティヴ思考がエンジンだとすれば、安心感や理屈はエンジンオイルだ。オイルが良質であればあるほど、僕という車はスムーズに動く。さらにこのエンジンのパワーは凄まじく、時に驚くくらいの能力を発揮する。気がつけば8000字近くのレポートが完成していた、なんてことはザラだ。

 しかしこのエンジン、実はふかしすぎると反動が発生する。反動とは即ち、ネガティヴ思考の行き過ぎによる破滅願望、自死願望だ。これを僕は制御出来る(しなければいけない)わけだけれど、制御できなくなった人は破滅してしまう。ちょっとピーキー過ぎない? と言われれば、間違いなくその通りだと答えるだろう。

 何かから逃げるためにエンジンをフル回転させ、結果もっと面倒くさい何かに立ち向かうというのは、中々効率の悪い生き方だなあ、と思う。だからこそ、僕は今日のような文章を書いてみた。

 僕は最初の文章に最初に逃避と書いたけれど、この記事を書いたのにはもう一つ目的がある。こうやって自分が頑張ったこと、出来たことを書いていけば、もうちょっと僕自身を認められるんじゃないかと思ったのだ。自己肯定感の強化というものは、劣等感や自己卑下といった感情を減少させてくれる。つまり僕は、ネガティヴエンジンのパーツ交換を試みているのだ。スピードがなくとも、安全運転が出来るエンジンを。自己肯定感や好奇心を組み込んで、反動の無いエンジンを作りろうとしている。それが僕が社会に適合するための第一歩だ。

 社会への適応、その道は険しい。それでもまあ、今日は少しそんな道を進めたんじゃないかと思いたい。目指せ、真人間。



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