現実からの逃避として

 突然だが僕は現在、今日の夜に提出の課題に追われている。しかし、だ。ここで皆に聞きたい事がある。

 テスト勉強をしなければいけない状況で急に机の整理をしたくなった、そんな経験はないだろうか。


 今、まさにその状況なのである。締切が近い、なのに他のことがしたくなる現象が現在進行系で僕を襲っている。夏休みの宿題に追われていた夏休み末期のあの頃を思い出した。

 さて、そんなこんなでnoteを始めた。実はこことは別にブログとかをやってはいる(ここと同じような散文置き場だ)。なのになぜnoteを書くのか。それは文章を書く練習をするためだ。

 僕のブログはいつも丁寧語(です、ます調)で構成されている。普段の口調が割と丁寧語多め、というのも影響しているのだけれど、それよりなにより丁寧語は文章を書きやすいのだ。理由は不明だが、もしかしたら性に合ってるのかもしれない。というか、こういった丁寧語でない書き方をしようとすると論文のような固い文章になってしまうおそれがある。これはその矯正でもあるのだと、そう思いたい。

 ともかく、そういう経緯があったりする。だから、ここでは丁寧語や敬語を使わずに文章を書く練習をしようと思う。丁寧語ばかりで文章を書いていると、普段の文章の書き方を忘れてしまう程度には、僕は環境への適応が下手くそだから。

 さて、現実から逃げたくなった時、何をするだろうか。例えば泣いたり、走ってみたり。他には音楽を聴く、大声で歌う、人や物に当たる、寝込む、楽しいことを考える……逃避の方法は人それぞれで、やりすぎなければどれが間違っている、などということは殆どない(人に当たるのは出来るだけやめておいたほうがいいとは思う)。

 僕の場合は書く。文章を書くのだ。くっさいポエムだったり、意味のわからない散文だったり、急に哲学の話を始めたり。現実逃避がしたくなった時、気づけばPCやスマートフォンのテキストエディタを立ち上げている自分がいる。なんだかネタを考えている作家や作詞家みたいだ。いや作家や作詞家がそんなことをするのかは知らないけれど。


 ゆえに、ここではいつもと同じようにとにかく好きなように文章を書き、自分でそれを見て「中々上手く書けているんじゃないか」などと悦に浸る。そんな自己による自己のための「承認欲求発散マシーン」として動かしていこうと思う。そんな逃避行動に、これからたまにでいい――付き合ってくれると、僕は少し嬉しい。

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