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ネバーエンディング ピース&ラブ(ネパール旅行記)②

(3)ポカラの安宿で蚊と悪戦苦闘  

首都カトマンズのオフィスで顔見世したガイドは、20代前半の若者で気弱そうな雰囲気を醸し出した男でダンカジと名乗った。

この旅ではポーターも頼んでいた。ザックの重さは8kg前後で背負えない事はない。でも標高差がかなりあるし、3泊4日で歩くとどこかで疲れてくる。この当時まだ国内でも3泊するような登山は経験してなかった。なので、マリ共和国でのトレッキング経験(これについてもいずれ書きたい)もあってポーターを頼む事にしたのだ。ポーターとして紹介されたのはまだ15才くらいの少年だった。

数日後、彼らとポカラで待ち合わせしていた。落ち合う場所は投宿していた安宿だ。ポカラ中心部から少し離れており、近くにドイツ風のパンやケーキを売る美味しいジャーマン・ベーカリーがあった。その日はペワ湖の畔でガイド、ポーターの少年と並んで記念撮影して、買い出しに出掛けた。登山用品は概ね持参していたけど、レインコートの防水シートが剥げてきていたし、山小屋で履くサンダルも欲しかった。

ポカラは欧米ツーリストが好むようなオシャレなレストランも立ち並んでいる。そのメインストリートを抜けていくと、登山用品の商店が集まる一角があった。流石はアンナプルナ登山のベースとなる街だ。日本で言うとバイクの修理工場みたいな店先だった。そこでポンチョ(約600円)と滑りにくいサンダル(約540円)を調達した。

登山前日はぐっすり眠りたい。だが、ポカラの宿は悲惨だった。ウィ~ン、ウィ~ンと枕元で何かが唸る。部屋の中に蚊が紛れ込んでいたのだ。灯りを付けて蚊を退治する。灯りを消すとまた唸り始める。手の甲や首筋など何か所も刺される。父は「足裏がポカポカする」体質だった。子供の頃は「何言ってるんだか」と聞き流していたが、大人になると体がそれを教えてくれる。私もそれを素直に受け継いでいて、とにかく暑がりだ。なので、足首から下を掛け布団から出した状態で寝ている。そうしないとモヤモヤして眠れないのだ。なので、足も蚊の格好の餌食になった。

ポカラは決して熱帯地方でも何でもない。なのに、どうしてこんなヒドイ目に会うのか。蚊との闘いは延々と続いた。蚊がこちらをからかうように飛んでいるけど思うように叩けない。それでもおおらく10~20匹は潰している。

そんな戦いを繰り返していただけに、登山初日はどこかボーッとしていた。しかも、ポカラの蚊は凶暴で毒性が強いためか思いっきり腫れあがっていた。しかも痒い。

これだけ腫れあがるのは稀な事。昨夜そんなにビールを呑んだ訳でもない。日本国内でもあれこれ登山しているが、山形県・月山で湯殿山へ降りていくと沢沿いに水月光、坂月光がある。そこの蚊は特殊なのか刺された箇所が腫れあがって1ケ月くらい発赤が治まらなかった事を思い出した。北海道のヌカカとかニュージーランドのサンドフライとか、その土地柄でそれぞれ生き残った手強いモスキート類に遭遇するけど、ネパールの山岳地帯がまさかそんな場所ではないと信じたい。

ダンカジ、ビリーと3泊4日のブーンヒル登山

(4)登山ガイドのダンカジがトツトツと悩みを語り始めた  

歩き始めはホントに標高800mのヤナプルだった。ここから2泊しながら標高差2400mを登っていく。

初日のランチは途中の村でダルバートを食べた。インド料理だと何種類かのカレーとナンが乗った大皿がある。あれがターリーと呼ばれており、そのネパール版がダルバートだ。ただ、ガイドとポーターの元にはチキン付きのダルバートが運ばれてきたのに、客である私の前に置かれたのはチキンなしだった。ダンカジは何も言わず平然と食べ始めた。別に構わないけど、どうして客がベジタリアン食で、ガイド等がノンベジなんだろうか。逆じゃないのか、ダンカジの発想が理解できなかった。もしかして山岳地帯だから鶏を家畜として飼っていても、案外と野菜が育たないのでベジタブル・カレーの方がおもてなし食なのか、いや無理があるな。この時はまだ問いただす程の関係でもなかったため、カチンと来たけど腹に納めた。

もう1つダンカジの行動で不思議な事があった。ガイドなのに客である私のすぐ後ろを歩いてくる。順番が逆でしょ、これでは歩きにくい。なので、何度も先に歩くように促した。でも、彼の言葉はいつも一緒だった。

「ネパールではガイドが登山者のすぐ後ろを歩くものだ。もしあなたが転びそうになったら後ろから支える」

と繰り返すだけだった。こちらが希望を伝えても頑な男だった。ダンカジの表情は乏しい。でもウソを言うキャラにも見えなかった。ネパールではホントなのか、ずっと疑問に思いながらも、彼が譲らない以上はその順番で登り続けた。

ブーンヒルまでの登山道は長い。ただ、登山道そのものはよく整備されていて、大抵の場所には平たく削った石が敷き詰められている。これは登山道がネパール村民の生活道でもあり、人馬も普通に上り下りしているためだ。左右の鳥かごに10~12羽のニワトリを背負わされた馬が通っているのを見掛けた。小学校も登山道沿いにあって、そこも見学してみた。なので、日本の登山道と比べたらよほど歩きやすい。ただ、馬糞がポツポツと落ちているので、間違って踏まないように注意したい。

登山の後半になって、突如ダンカジが悩みを語り始めた。客に話してどうするの、と思えど彼の趣旨が判らなかったので最初は黙って聞いていた。聞く限りではこんな所だーーー。

「ボクはフランス人登山者のツアーにポーターとか料理人の立場で働いていた。フランス語を学んだけどそれが役立つ仕事がない。今の会社で仕事をするのは初めて。ガイドとしてヤマに入るのも初めてなんだ」

うん、どういう事だ? もしかしてダンカジは素人同然のにわかガイドって事か。偉そうに突き放して言えばどんな仕事だってプロ意識が求められる。それはネパールだって日本だって変わらないでしょ。知らぬ間に自分の気持ちが上から目線になっていた。IT企業の労働者のストレスをここでネパリー(ネパール人)にぶつけてはいけない。少し冷静にならなくては。

いくらこっちが心を許したとしても山岳ガイドとして「ボクは素人なんだ」って客にバラしてしまうのは不味い。舐められるし、いざヤマで危険な目に遭遇してもヘルプして貰えないんじゃないかと穿った見方をしてしまう。第一、信用を失う。もしかして滑落しても助けてくれないんじゃないか、と疑ってしまう。

カトマンズで会ったあのガイド会社の日本人女社長、あまりにもスタッフのマネジメントが雑だなと呆れた。私もIT企業に勤めていて、全ての仕事が自分の得意分野とは限らない。そんな時に限って顧客から「君達はプロでしょ。それなのにこの見積り金額って高すぎるヨ」とチクリと刺される。こっちだってこの分野はプロじゃないよ、まだまだ修行中なんだと泣き言を言いたい時もある。けど、そうも言えないのが仕事だ。

目の前で朴訥と悩みを喋るダンカジの言葉には覇気がないので、こちらとしてもあんまりテンションが上がらない。早く打ち切りたい気持ちも相まって、とにかく「ガンバレば大丈夫」と言い切ってしまった。

後で思い返してみると、フランス料理の仕事をしたいなら「下山したら何か美味しいものでも作ってヨ」と言ってみれば良かった。もしかして自分はネパール風フレンチにありつけて、ダンカジも自分の味に自信を持てて一石二鳥を狙えたのではないか。彼がフランスに興味を抱いたのはお国柄か料理、どちらだったんだろう。昔、フレンチに魅せられてパリで料理修行したコックさんと八ヶ岳のペンションで出会った事がある。そのオーナーはその日のコース・メニューを流れるようにエレガントなフランス語で書いていた。ダンカジの気持ちになってもうちょっと聞き役に徹していれば別の答えを見つけられたかも知れない。

日本でもワーキング・プアや子供の貧困が社会問題として認知されてきた。でも、それってあくまでも相対的な貧困であって、親ガチャと言うには大袈裟すぎる。ネパールはレシート1つとっても直ぐに破れそうな粗末な紙を使っている。土壁の家も残っている。絶対的な貧困と表現するのは失礼だろうが、半ば閉じられた世界の中で「国ガチャ」によって人生が決まってしまう現実もある。だから、限られた現実において料理でもヤマでも自分の思いに沿った仕事で暮らしていけたらいい。まあ、経済的な豊かさと幸福感は別物なので、かく言う日本人が恵まれていると言っている訳ではない。

ネパールの登山道は生活の道でもあり整備に怠りない


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