教国の暗殺者『一部四話 あなたを支えるもの2』マハト・オムニバス~ファンタジー世界で能力バトル!~

 暗殺者を追い払ってから数時間——ムラトは太い切り株の上で足を組み、瞑想にふける。
 セレナという暗殺者に折られた肘は痛み、熱を持っていた。しかしこれまで自ら与えてきた罰に比べれば何ということはない。むしろ手間が省けたというものだ。
 この痛みこそが弱さを正し、進むための力を与える。それが『天啓』を成就させるために必要なことであるとムラトは信じていた。
 周囲は夜の闇に包まれ雪と風が執拗に襲い来る。
 そんな中で瞑想を続けたムラトの胸の内には、かつての記憶が、痛みが走馬灯のように浮かび上がってきた——

 ムラトが生まれたのはここよりもさらに北。永久凍土が広がるイムテルでも最北端にあたる極寒の地だ。
 肺まで凍ってしまいそうになる冷たい空気と、何万年もかけて海水が氷結してできた大地。
 見渡す限りが白い氷で覆われたそこは、常に寒さと死が隣り合わせの極北——そこがムラトの故郷だ。
 こんな土地で生き抜くために必要なのは暖かい優しさでも人々の温もりでもない。むしろ冷酷なまでに冷徹な厳しい統率である。
 イムテルでは厳格な階級制度によって民が区分され、下の者が上の者に逆らうことは許されない。
 そうした鉄の掟によって民はまとめ上げられ、団結して生きてきたのだ。
 しかし、ヒエラルキーの最下層・平民よりもさらに下の階級に属する者たちにとって、この階級制度は地獄と言っていい。
 彼らの生活はほとんど奴隷と変わらず、厳しい寒さの中をどれだけ働いたとしても、その日をしのぐのにやっとの生活しかできなかった。

 ムラトはこの最下層民の一人として生を受ける。
 家族は全員、厳しい労働に耐えきれずに死んだ。幼い妹すら長生きできなかった。
 たまたま少しだけ丈夫に生まれたムラトだけがなんとか生き残っていたが、そう遠くないうちに後を追うだろう。ムラトにとって短命は普通、そういう生き方しか知らなかった。
 そんな彼の仕事は船を引くこと。
 極北のイムテルでは船を出港させるために凍った海を砕き、甲板から伸ばされた鎖を人力で引く。これは主に下層民の仕事だった。
 食料調達用の船は巨大で重く、鎖は凍てつき、不用意に触れれば皮膚にへばりつく。これを十数人の最下層民で毎日のように引いた。
 この過酷な重労働に途中で力尽きる者は後を絶たず、その度に新たな人員が補充される。初めてムラトが船を引いたのも父親が倒れた代わりであった。

 いやに雪の多い年の出来事だ。その日もムラトは船を引くために駆り出された。
 食糧難に見舞われたイムテルはどうしても船を出す必要があったのだ。国民全員が飢えないために何としても食糧が必要だった。
 しかし、そんな状況ではムラトたち最下層民に配給が回ってくるはずもない。食べ物がなくなって真っ先に削られるのは当然彼らだ。
 それでも命令を断れば死刑。言うことを聞くしかなかった。
 寒さと飢えに耐えながら、重い重い船を引く。
 同僚たちは次々と力尽き、氷河の上に倒れていく。それを憂う者はいない。
 さながら地獄の刑罰の一つのようだ。他人に構う余裕はなかった。
 やがてムラトも足腰から力が抜け、氷塊の上に倒れこんだ。
(どうせ生きていてもこの地獄が続くだけだ……ようやく家族の元にいける……)
 酷い凍傷で痛覚が麻痺していた。ムラトに最早立ち上がる気力はない。
 激しい眠気に襲われながら、ムラトは自らの最期を察していた。
 
『——壊せ』
 そんなムラトの耳に、どこからともなく声が聞こえた。
 これが『天啓』を聞いた初めての瞬間だ。
 疲労が聞かせた幻聴か、はたまた今わの際に垣間見た人ならざる者のささやきか。
 しかしムラトにはハッキリと聞こえた——『壊せ』と。
 瞬間、感じなくなっていたはずの痛みが戻ってくる。痛みが眠気を振り払い、全身に血流をうながす。身体に力がみなぎってくる。
 この『痛み』はなんだ——これは『怒り』だ。
 生まれた境遇か、圧政を強いる国か、自らの弱さか、何に怒りを感じているのか自分でもよくわからなかった。
 ただ、全身が痛む。肉体を打ち貫く痛みが、心さえ引き裂く激痛が、感情が、怒りが——ムラトの身体を駆け巡り、ここで立ち止まることを許さない。

「これも何かのさだめか……どうやら俺は、ここでは死ねないようだ」
 ムラトはゆっくりと立ち上がると涙をこぼす。
 生来のムラトは心優しく穏やかな人間だ。家族を愛し、仲間を慕い、過酷な環境の中でも小さな幸せを見つけて細々と暮らす。
 そうして死んでも、誰かのためになったのなら本望だと、心から思っていた。
 しかし、それは見て見ぬフリをしてきただけだ。
 家族が死ぬたび、仲間が死ぬたび、過酷な環境に身が張り裂けるたび、自分の心にフタをして感情を押し殺してきただけだ。痛みから目を逸らしてきただけだ。その痛みが、今ムラトを奮い立たせている。
 この涙が喜びか哀しみか、それはムラトにもわからない。
 ただ、この押し殺してきた感情を、痛みを向ける矛先だけは分かっていた。
「俺は『天啓』に従い、全てを『壊す』——人も国も何もかも。こんな哀しみしかない世界は一度壊してしまった方が良い……『天啓』は、そんな俺の気持ちを肯定してくれた」
 いつの間にか、ムラトの手には鉄の輪——『支配者の指輪』が握られている。
 それを腰に巻き付けたムラトは鎧と斧を生成、船ごと乗組員を叩き殺した。
 以来、ムラトは『天啓』に従い、世界中の物を壊して回っている——

「——またお前か。懲りないヤツだ」
 殺気に気づいたムラトは記憶の旅から舞い戻り、意識を現在へと向ける。
 この殺気は先ほど感じたものと全く同じ。
 あの暗殺者が——セレナが戻ってきたのだ。

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