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【#創作大賞感想】「ばあちゃんと僕と金ちゃんヌードル」コッシーさんのためにストックされ続けた愛

元々温かい作風なのは、わかっていました。だから、このエッセイも心がホッコリするエッセイなんだろうな、と思っていましたが。温かいなんてレベルじゃないですよ!大泣きじゃないですか。どうしてくれるんです、と理不尽とも思える表現で絶賛したのが、こちらのエッセイ👇

読んでいると祖母との思い出が幼少期から最期まで思い出されてしまい、涙がとまらなくなります。おばあちゃん子であることが大きく影響しているでしょうが、心に刺さって仕方ないのです。

コッシーさんのおばあ様に比べてうちの方はビールの王冠を口で開けたり、正露丸を5粒飲んだりする猛女とタイプは異なります。だだをこねようもんなら「口の端ぁ耳まで!」と恐ろしいことを言われてしまいます。

でも、懐いていました。かなり甘えてもいました。祖母も自分勝手な愛を私に注ぎました。親と違い祖父母と孫の間には無償の愛が存在します。言葉では到底表すことができない懐かしさのこみ上げる愛、それがコッシーさんのエッセイには詰まっているのです。

施設に入った祖母は認知症が一気に進みます。私は祖母に「まあ、よくいらっしゃいました。お上がんなさいな」と言われ、ベッドの上で正座をし向き合って世間話をしました。「もうすぐママ(母のこと)が帰って来るから」と話す祖母は施設のベッドの上を我が家だと信じていたようです。調子のいい私は「お嫁さんはお仕事?」と話を合わせます。帰りの電車ではまわりにわからないように少し泣きました。それでも祖母が生きているのが嬉しかった、そんな気持ちを思い出すエッセイに出会えた幸せを今、噛みしめています。

うちの祖母は施設のベッドが居間でしたが、コッシーさんのおばあ様にとっては孫をもてなすための自分の部屋でした。いつ孫に甘えられてもいいように、ずっとストックしていたものはコッシーさんへの愛だった、と私は思います。

素敵なエッセイありがとうございました。

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