一人で何かに取り組むこと

気になっていたアニメ映画「Away」をプライムビデオで観た。気になっていた理由として、75分間の長編映画を一人のクリエイターが三年半かけて完成させたという触れ込みを聞いたから。

作品自体の感想としては、前情報のインパクトが大きく、終始そのことを念頭に置きながらの鑑賞だったため、世界観に没入するような感じではなかったのだけど(自宅の小さなテレビで観たということもある)、要所要所に作者の作業の痕跡を感じられ、普通の映画作品を観ているときとはまた違った感覚になった。

通常であれば、チームで分担して協力しながら作り上げるようなものを、ひとりで全ての工程を担当し、ただひたすら手を動かすということ。

同じように、一人で作った作品として、非常に感銘を受けたものがある。

「ドアを開ける短いゲーム」という、Tatsuya Koyamaさんというゲームプログラマの方が、本業とは別に、個人制作で約2500時間かけて完成させたゲームがそれだ。
「Away」と同じように、絵も音楽もストーリーも全てたった一人のクリエイターから生み出されたこの素晴らしい作品は、日々、ひとりで楽器製作をしている自分の心に深く刺さった。

小説を読むことが好きなのも、同じような理由かもしれない。
素晴らしい作品に出会ったとき、たった一人の頭脳からこの壮大な世界を生み出されたのかと思うと、身震いするような興奮を覚える。

人は、人の作ったものに感動する。
関わる人間が多いほど規模の大きなものを作ることが出来るが、そこには人の気配を感じにくい場合も多い。

良好な人間関係を構築することが人生の充実度を左右すると言われていたりするが、皆が皆、そのような関係を築き上げることが出来るかと言えば、決してそうとは言えないだろう。

繋がりたくても上手くいかない人もいるし、そもそも繋がり自体をあまり求めていない人もいる。
自分にはどちらの要素も含んでいると自覚しているが、そんな自分に対して、劣等感のようなものを抱いたりする場合もある。

冒頭の話に戻るが、ひとりで何かを続けることは、そのような劣等感を払拭できる最も有効な手段だと、最近になって思えるようになってきた。

誰かに頼まれたわけではないけれど、取り組んでいること。
目的地までの道のりは遠いけれど、先のことはあまり考えず、目の前にある自分で用意した課題を、毎日少しずつ進めていると、いつの日か必ず完成する日がくる。

ただし、気をつけないといけないのが、続けた先にある何かを期待するということだ。
いわゆる「結果」というご褒美のために、それを信じてノルマをこなすというのはいわば労働に近く、思うような結果が得られないと感じ始めると、そのまま途中でやめてしまう場合も出てくるだろう。

先日、「続ける思考」という本を読んだ。

ブックデザイナーであり、習慣家という聞きなれない肩書きを持つ著者の井上新八さんは、「結果」のために続けるのではなく、「続ける」こと自体を目的とし、「趣味は継続」という、いわば目的と手段が完全に逆転してしまった状態を、心の底から楽しんでいる。
そして、著書の中では、そのことについて非常に高い熱量で綴っている。

一人で何かに取り組み続けているけれど、もしかすると、こんなことをしていても無駄なのかもしれないと思い始めたときに出会った本。

本を読んで救われるという経験は、実は初めてのことかもしれない。
「続ける思考」で得られたことを、ここに少しづつ記していきたい。



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