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過去の思い出 1997年 第2回NHKマイルカップ


(この記事は「羽柴の隠れ家」内の競馬コラムで2019年4月に掲載したものです)

過去の思い出 1997年 第2回NHKマイルカップ
      
過去のレースの思い出、馬券自慢を勝手に語ってみる企画。  
第三弾は1997年の第2回NHKマイルC
  
前年のNHKマイルCがG1昇格初年度であり、まだまだ目新しいG!レース。確かに昇格前にNHK杯としてレースはあったが、あくまでもダービートライアルのものであり、距離も東京2000mが舞台。それが一気に1600mに短縮されて短距離G1レースへと変貌し、さらにクラシックに参戦できない外国産馬が多数集結しての一戦。この年も18頭中12頭が外国産馬であり、当時は外国産馬の為のG1レースとも言えた。
  
この年の勝ち馬はシーキグンザパール。シンザン記念→フラワーC→NZT4歳Sと3連勝中だったが、このレースも制して重賞4連勝。前走のNZT4歳S(当時は東京1400m)が後方一気の快勝だったが、このレースは好発から中団前目の位置。直線外目に出して直線半ばで抜け出すという横綱の競馬で快勝。
      
勝ちタイムは1.33.1とこの当時でも結構な時計が出たものの、前年度にタイキフォーチュンが1.32.6で勝っている為にさほど注目される事もなかった。ただ最初の1Fを除いてはすべて11秒台連発の流れでありそこを楽に追走して抜け出せるわけだから相当なスピード能力。ちなみに前年度のタイキフォーチュンもこの第2回よりかは少し楽な流れではあったが後半3Fは12.0-12.0-11.8の加速ラップを差しているし、翌年の覇者エルコンドルパサーもこの年と似たような流れを楽々と抜け出して快勝(しかも稍重の馬場だった)。この時代の外国産馬はとにかくスピード能力に長けている…そういうイメージを強く持った時でもあった。
   
さてここからは馬券自慢。
実はこのレースは馬連1点のみで的中。まぁ1番人気と2番人気の決着であり馬蓮でも3.8倍の結果。ただし今と違って3連馬券は無いしワイドすらない時代だから望みえる最高の結果だったと思う。逆に3連単、3連複というのが無い分だけ素直にストレートに買えた時代とも言えるかな。
     
実は1995年から2000年くらいまではこの馬蓮1点勝負というのは頻繁にやっていた。特にG1では馬連1点1万円のみの勝負を多用しいて結果は勝率100%だった。コレは今でも結構な自慢のタネ。その1万円勝負を止めたのはちょっと明確ではないのだけど2000年の有馬記念だったと思う。オペラオーとドトウの一点勝負(この時は1万以上突っ込んでいたはず)で馬券は獲れたものの、内容が辛勝すぎて心臓に悪いという判断で止めたはず…。ま、これはいずれ似たようなコラムで書くかもしれないけど、ここでは別の話ですね。ちょっと脱線した…。
  
話を戻して1997年のマイルカップ。
それでも今こうやって20年前を振り返ってもやはりよく馬連1点で勝負できたなという感じはある。今でも覚えているけど、前走のNZTが圧巻でその時の1.2着馬で固いと思い込んでいた節はある。結果はその通りになるのだが、このレースは2着のブレーブテンダーが直線思うように伸びてこなかったのを強烈に覚えている。勝ち馬のシーキングは完全に抜け出したから勝利を確信。問題は2着争いであり、しかも1点勝負の人間にとって願う事はただ一つ。結果的にゴール前で何とか4着馬を捉えることが出来、さらに外から3着馬に際どく追いつめられており結構ギリギリの2着。当時まだ若かった私は最後の1Fは2着馬に向けて絶叫していたような気がする…。
    
また話は少し逸れるがこのレースに限らないんだけど1点勝負はほとんどが関西馬同士の1点勝負。当時は関東圏の馬券を買える機会が少なく(今みたいに別の競馬場を全レース買えなかった)、関東馬の馴染みがあまり無かったのも原因の一つかな。さらに現在のようにインターネット環境もなくて関東馬の情報すら得られなかったのもあると思う。直感や先入観に拠るところも大きく、さらに関西馬が異常に強い時代だった事もあって何とか成立していた感じはあるかな。
     
前述のように1999年以降に馬券の券種が増えた頃に私自身もネット環境を手に入れ、この辺りから予想の思考や馬券の選び方もどんどん替わっていったように思える。いい意味でも悪い意味でも。ただこうやって過去を振り返って馬連1点で勝負できた時代は良かったなぁ…と思うと同時に、年を取ったことを実感しさらに「昔は良かった…」という語る自分が年寄りっぽい感じがして非常に嫌なのである…。
  

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