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過去の思い出 2000年 第67回東京優駿(日本ダービー)


過去のレースの思い出、馬券自慢を勝手に語ってみる企画。
今週は2週間後に控えた日本ダービーから2000年の第67回東京優駿(日本ダービー)についての小話をひとつ…。


この年のダービー馬に輝いたのはアグネスフライト(河内洋)。そして2着馬がエアシャカール(武豊)であり、いろいろとドラマがあった事からも他所でもコラムではよく見る題材。

そのほとんどが念願のダービージョッキーとなった河内洋の事をメインに、後に菊花賞を制し、ここでダービー馬になっていれば三冠馬になっていたとするエアシャカールについて語られているのが多い。番外編としてフジテレビの三宅アナによる名実況についての話なんかも聞く。

ただこの日本ダービーでの事で、案外語られていないと感じたの事が一つある。それは最後の直線(しかもゴール前)で、2着馬エアシャカールが外に斜行している事である。しかもレース後審議対象となり、短くはないそれなりの時間の審議となったはず。

当時の映像は現在でもいろんなところで見ることが出来るが、パトロールビデオのような映像はあまり見ることが出来ないと思われる。ただ当時のTVでレース直後に見たエアシャカールの斜行は想像以上のものだった。

イメージとしては2013年安田記念の最後の直線であったロードカナロアの斜行に似ている。ただ当時のエアシャカール騎乗の武豊は、右ムチから左ムチに持ち替えて打った直後に外にヨレ始めた為に、すぐさま右ムチに持ち替えている。すでに外には勝ち馬アグネスフライトが迫っているので、左の肩ムチを連打して必死に修正を試みているが、修正しきれず外に斜行したままの状態でゴール。今でもたまに見かけるが、斜行しているのに延々ムチを打ち続ける騎手、当時はまだ居たと思われるムチの持ち替えも満足にできない騎手とは違う。

しかしながら、これにより勝ち馬アグネスフライトはゴール前でエアシャカールに体当たりを何度も受けながらゴールした訳で、それでもハナ差でねじ伏せた事実があって当時は最強のダービー馬と言われた…はずである。

タラレバの話でいくと、もしアグネスフライトがハナ差でも差し切れていなかったら…というのがある。こうなると当然エアシャカールの斜行についての審議が問題になる。

まぁ今のルール上では完全にセーフ。前述の2013年安田記念のロードカナロアでさえセーフなのだからこれは当然。ただ2000年当時の厳しいルール上だと審議の結果エアシャカール降着、アグネスフライト繰上げ優勝という事も全然ありえたと思う。もしもそうなれば日本ダービーで1着入選馬が降着という事件で記憶され、汚点…とまで言っていいか分からないが、日本ダービー史に刻まれた可能性は高かったはずである。

その2000年の日本ダービーのレース後、武豊は兄弟子でもある河内に対して「直線ですみませんでした」と謝罪したところ、河内は「勝ったからエエわ」と返したと伝え聞く。河内洋という人柄が何となく伝わってくるエピソードだろう。

★このコラムは2018年5月頃にネット競馬内のひとこと日記に投稿したものを一部再編集したものです。



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