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過去の思い出(パチンコ) エキサイトジャック

過去の様々な思い出を語る企画のパチンコ編。

この企画の第一回目で語るのは1993~1994年ごろに設置されていたエキサイトジャック。
 
私のパチンコ歴が1993年頃からなので、まぁ丁度嵌りたての時期にあった機種。設置店も多く、シンプルなドラム式パチンコ。大当たり確率も223分の1と当時の機種としては微妙なラインだが、初心者が遊ぶにしては丁度いい感じの機種だったようにも思える。
 
ただこの機種は知る人ぞ知る保留玉連荘機。しかも11分の1の確率で保留玉を2~4を同時に書き換えて連荘時には4連荘確定という当時でもかなりのギャンブル機でもあった。
 
ここでその思い出を語るくらいだから、さぞ大勝ちの自慢話が…と思われるだろうが、私自身この4連荘というのを体験したことが無い。それどころか当時初心者の私はこの機種がこんな連荘機とは知らずに打ち続けていた。このパチンコの世界に手引きしてくれた先輩がいる訳でもなく、当時はドがつく素人でありパチンコ情報誌を見て研究…なんて事もない。周りの客や常連客のおっさんに聞く勇気もない…。まだまだウブな若造だったんですよ…当時は。
 
この機種が連荘機(当時この機種以外の連荘機も殆ど知らなかった)であると気付くきっかけとなった出来事がある。この機種でたまたま数珠連荘的な感じで立て続けに大当たりをして持ち球遊戯になった時の事で、お客さんの知らないおばちゃんに声を掛けられたことがある。多分私の持ち球を見て(当時は4000発箱を2つまで所持できた)声をかけたと思うのだが…
オバちゃん「え~何?4連荘来たの?」
私「あ~何回か大当たりしました…」(内心「何だこのオバちゃん?」)

何とも分かってない若造の答えだと思われたかもしれませんね。
それでも「何故声を掛けられたのか?」「4連荘って何だ?」という疑問があって、ようやくできたパチンコ店内の知り合いのお兄ちゃんに教わって初めて連荘機という存在を知ることになった。
 
前述のようにこの機種で4連荘の経験は無し。それでも何故か相性は良くて、大勝ちとは言わなくても1~2万円のプラス収支になる事が多かった機種。確率が223分の1と微妙ではあるが、当時は比較的回りの良い台が多かったのが影響してるかもしれませんね。

この機種との別れは何時頃かははっきりしない。連荘機の規制が始まるより先に自然と姿を消していったように思える。実際のところ本格的にパチンコを打つようになるとさほど面白みのある機種では無かったし、徐々に店側も釘を占め始めるようになっていたのも事実。打たなくなる直前では1000円で20回程度しか回らなくなっていた記憶だけはある。これでは自然と足が遠のくし、いつの間にか無くなっていたというのも今思えば納得なんですけどね。

パチンコデビューに近い機種で、未だに懐かしく思ってこうやって振り返ることもしばしば。時は過ぎて20年近くたった今、777タウンというパチンコオンラインゲームでこのエキサイトジャックに遭遇し、あまりの懐かしさにゲームだというのに夢中で打ってしまった事がある。そしてこのゲーム内で実際に体験できなかったあの4連荘も体験。激アツの保留2の立直は本当にたまらん…。

スクリーンショット (4)


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