10年目に防災を見直そう

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【あの日】誘導中に強い横揺れの余震が起き、激しい揺れで身動きがとれなくなりました。一人の女性が、道端に生えている雑草を両手で握りしめながら泣き叫んでいたのを強烈に記憶しています。それと、電柱や信号が激しい揺れで地面に届きそうな勢いて振り子のように揺れている光景も鮮烈な記憶です。

【あの日】10年前の3月11日、私は内偵捜査の真っ最中でした。犯人たちの拠点から通りを隔てて向かいにある古いマンションの一室を借りて、そこで犯人の行動を監視していました。昼メシを食べ終わり、動きのない拠点の監視に寝落ちしそうになった午後2時47分、あの地震が襲って来るのでした。。

【あの日】次第に横揺れが大きくなり、立っていることすらままならない状態になりました。そして、内偵に使っていた古いマンションの壁にひびが入り、隙間から砂も漏れてきました。「マンションが潰れる!!」そう感じ一緒に内偵をしていた成田署の巡査刑事と避難することにしました。

【あの日】ちなみに、私たちが内偵の対象としていた犯人たちも、拠点から飛び出してきて、避難誘導中の私たちは犯人とも鉢合わせしてしまいました。しかし、そんなことに構ってはいられません。私たちは犯人らも含め、近くの小学校へ誘導しました。誘導中、再び強い横揺れの余震が起きました。

【あの日】当時私は千葉県警察本部の捜査員で、成田警察署の事件の捜査に応援派遣されていました。成田市内のマンションの一室で内偵中の午後2時47分、揺れが襲ってきました。当時小さな地震が頻発していたこともあり、最初は「また地震か」程度でしたが、揺れはどんどん大きくなっていきます。

【あの日】しかし、私たちだけ率先して逃げるわけには行きません。住人が下敷きになったら大変です。私達は警察手帳を首から下げ、揺れの中、私たちはマンションの階段を最上階まで上がり、一軒一軒チャイムを鳴らして「警察です!!今すぐ外の大通りに避難して!!」と叫びながら駆け下りました。

【あの日】揺れている中、また余震の危険もある中、住民を外に避難させる行動は、今となって考えると、ガラスや外壁等の落下の危険性もあり、間違いだったかもしれません。でも、とにかく建物の外に避難させなければ、下敷きになってしまい、命の危険があると判断し、このような行動をしました。