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【日記】ワイドハイター(大)で万札を崩す。/物ごとをあまり決めつけ過ぎないこと

知人の修了公演を観るため、仕事帰りに王子駅で降りた。まだ1時間ほど時間があるので、夕食をとってから会場に向かうことにする。そういえば財布に一万円札しか入っていなかったことを思い出した。公演の鑑賞料は1000円で、お釣りが出ないように支払わなければいけないので、ちょうどいい、夕食のお会計で崩そうと思った。今自分は何が食べたいか考えたが特に思い付かなかったので、会場近くの目に付いた松屋に入った。券売機が2台あり、空いている方に並ぶと、不運なことにそれはキャッシュレス専用の列だった。もう並んでしまったものは仕方がないし、PayPayでネギたま牛丼の並を注文する。店内はほぼ満席に近い状況で、長く居られそうならiPadを開いて作業しようと思ったのだが、この混雑具合では難しいそうだ。黙々と牛丼を食べて店を出て(松屋は全メニューにみそ汁が付いているのがありがたい)、まだ時間があるので王子の街を散策することにした。
 王子に来るのは初めてな気がする。知らない街の夜道を歩くのが散歩の中で一番面白い。10分程駅近くの路地を歩いた後、ドラッグストアに入った。飴でも買って万札を崩そうと思ったのだ(私はその時慢性的に喉の調子が悪く、のど飴ならどれだけ買い貯めしてもいいと思っていた)。
しかし、ドラッグストアに入ると私の目にあるものが飛び込んで来た。洗濯用漂白剤「ワイドハイター(大)」の詰め替え用だ。そういえば今切らしていたのだった。値札には赤文字で特売の文字があり、この店は他と比べて少しだけ安い気がした。ここで買ってしまおうか。しかしあまり大きくない通勤用リュックはもう既にいっぱいだし、ここで買ったら荷物があまりにも重く…

公演を観終えた私は、ずっしりと重いリュックを前に抱えて帰途に着いていた。弁当箱と水筒、読みかけのマンガ・小説、暖房の効いた電車の中では着けていられないマフラー、そしてワイドハイター(大)を詰め込んだリュックは、ファスナーを締めるのも苦労するくらいにパンパンだった。千葉県の郊外に住んでいるので、自宅まで電車を乗り継いで1時間はかかる。しかも、最寄り駅を出てから家まで10分程自転車を漕がなければならない。この大荷物を抱えて帰るのは流石に骨が折れる。
「しかし、これでいい」と私は心の中で呟いた。これでいいのだ。運ぶのが大変だとしても少しでも安いところでものを買い、他の用事のついでに買うことで買い物に行く手間も減らせる、よって、休みの日にお金や時間を有意義に使うことが出来る、今の私にはお金も時間もどちらも足りていないから(悲惨な状況だ)、これでいいのだ、これが私の生き方なのだ。一連の思考の中で結論を出してから、さらに心の中で呟く。

「しかし、本当にこれでいいのだろうか?」

私には自分の体験を基に、ごく短いマンガのストーリーを考える癖があり、物語を無理やり結末付けるように、自分の思考もまた無理に決めつけ結論を出しがちである。そのことを踏まえて自分の先ほどの考えを俯瞰してみると、ワイドハイターの「これでいい」に対して疑問を抱かざるを得なかった。
重い荷物を抱えている過程で、これでいいと言い聞かせながら気付かないうちに自分をすり減らし、ほかの物事に対する気力をなくし、次第に私は生活することだけに精一杯になっていくのではないか?(もう既にかなりそうなのだが)

だから最近は、何ごとにおいても結論を出すことを先延ばしにするように心掛けている。物ごとをあまり決めつけ過ぎないこと。大学の時に受けた哲学の授業で教授が言っていた。「自分は誰からも愛されないとか、そういう風に物ごとを決めつけないことだね」と。私は今までかなり多くのことを決めつけ、自分の可能性を狭めてきたように思う。でも、決めつけなかったこともあった。そこから可能性が芽吹き、人生を豊かにしてくれることがあるのを時折肌で感じる。つまり、ワイドハイター(大)を王子で買ったことが良かったのか悪かったのかは、まだ決めつけるべきではない。まだ分からない。というより、どちらでもない可能性が高いとふんわり考える。そんな具合で物ごとを決めつけ過ぎず、思考に余白を持って日々を生きていきたいものだと、最近は思えるのである。

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