完璧なものは無いと思いながら生きています

何か完璧なものがあるのではないかと考えたり、それを探したり求めようとしたり、それは誰しも人間であれば思い至るのは自然なことだしいけないことだとか言おうとは思わないのですが、
「完璧さ」というのは、何かが「ゼロ」である、例えば「問題点が皆無」というのはほとんど手に入れることは、それこそその確率はゼロに限りなく近いのではないかと思います。
「より良いものを目指す」くらいにしておかないと、自分も、他人も、追い詰めてしまうのではないでしょうか。

上の文の部も、下の文の部も、もっと推敲・深耕が必要と認識はしていますが、まずはたたき台を作っておこうと。

また、他人が考えていることなんて、わからなくて当たり前と思います。
まして、自分と意見や行動が違う人の思考・根拠なんて、理解できるはずがないのに、目の前にいない人の、さらにはネット上の知人でも何でもない匿名に近い人の考えの理由を知ろうなんて、手間がかかって得られるもの極小ではないかと。
その「理由を知りたい」という表面上の考えの下には、何か論破・調教・洗脳したいとか、浅い考えだと嘲笑したいとか、自分をなんとか上に上げたい無意識の発露ではなかったりしないでしょうか。
もちろん、「社会通念」など、社会ができるだけ共通でもつマナーのようなものは、あってしかるべきだし、日本も世界も豊かで幸せと感じる人が多い社会であってほしいと思いますから、なんでもかんでも違うものを認めるべきとまでは言いませんが。

コロナで大変な世の中ですが、それでも、何か感情が高ぶりそうになった時には、あえて少し深呼吸して、立ち止まって、ほんの少しでいいから、ゆとりの気持ち、ほんの少しの寛容さ、許容、が、ひとりひとりに持てるといいな、と願います。


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