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noteを毎日書き続ける理由

今日映画スペース・スウィーパーズを観た。凄く面白かった。主役の男は親を亡くした赤ちゃんを拾い育てていた。ある日成長した娘を事故で亡くし遺体も発見出来なかった。彼はずっと娘の遺体探しの費用を稼ぐために生きていた。素晴らしい映画だったが、私は彼の娘の遺体探しにそこまで共感出来なかった。

昔私は祖父を亡くした。一緒に生活していた祖父の死は予想以上に悲しかった。祖父の亡骸を前に泣き続けた。兄が泣いている私の隣に座って言った。「この祖父の身体は祖父が生きるために借りていたものやな。祖父は既にこの身体から離れて違う場所に行ったんぞ」私はその言葉を聞いてスッと気持ちが軽くなったのを覚えている。

私が死んで遺体が発見されなくても、そこまで探して欲しいとは願わない。しかし普通なら私が死んだらお骨はお墓に入れられるんだろう。お墓の前で手を合わせ思い出してくれても良いが、それよりは私の書いたnoteの記事でも読んで笑ったりしながら思い出してくれた方が嬉しいと思う。

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