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創造界隈の成熟と新しい動きークリエイティブシティ・ヨコハマから創造都市横浜へ

※約1年前のfacebook投稿をリライト転載しています

2008年、3回目の横浜トリエンナーレに合わせて横浜クリエイティブシティ・シンポジウムやBankART1929の「集まれ!アートイニシアティブ」、第1回目の黄金町バザールなどが開催されます。橋本が河本一満さんとともに「KOTOBUKIクリエイティブアクション」を立ち上げたのもこの年。

2009年は横浜開港150周年ということで、開国博Y150開催、象の鼻パーク&テラスがオープンなどの動きがありますが、中田市長が辞任に追い込まれた年でもあります。

その後、それぞれに知られるようになるまちなかのプロジェクト2つがはじまり、SLOW LABELやパラトリエンナーレの拠点ともなっていく象の鼻テラスができたということで、いまの創造界隈の原型がほぼできあがった時期といえます。ACYがマップをつくってみたり、関内外OPEN!をはじめたりと拠点をつないでいく動きも出てきます。

橋本は、寿町でのプロジェクトをきっかけに2009年から3年間は東京文化発信プロジェクト室(現・アーツカウンシル東京)で働くことになり、東京アートポイント計画の立ち上げにたずさわりながら、余暇の時間で横浜での活動に関わり続けるというライフスタイルになります。

市長の交代については、当時のいち市民としてはY150の失敗を見たらしょうがないなと思いつつ、新市長が文化NGの人ではないというところでひとまず安心するわけですが、早々に「クリエイティブシティ」のつく施設や事業名称が「創造都市」に書き換わっていくなど、微妙な影響が出てきていました。

首長が変わり、芸術文化推進を掲げて新たな取り組みに挑戦するのはいいのですが、旧首長時代のいいところ、対外的に評価されてきたことをそのまま生かそうとはしないんだなぁ、とその後も現場で感じることが増えていく予兆がありました。

横浜トリエンナーレ2008、ポスタービジュアルはあまり好きではありませんでしたが、内容はディレクションが効いていて好きでした。大巻さんのMemorial Rebirthに何度も足を運びました。寿町にも誘致。

市民サポーターが関わりガイドブック「アートシティヨコハマ」を美術手帖が制作。「東京アートガイド」なんてのも同年発行されています(横浜・神奈川エリアを橋本が担当)。ガイドブックブーム始まりの時期か。

サポーター活動などをまとめた記録集「アートボランティア横浜スタイル」なんてのも発行されています。寿町の話などで座談会に参加。

黄金町バザールはガイドブック+読本形式の冊子とレポートを発行。

KOTOBUKIクリエイティブアクションはA4リソグラフ刷りのチラシで広報はかなり限られた範囲にとどめました。現場でプロジェクトマップ(活動が終わっているものなどもまとめて一覧できるパンフレット形式)を配布。初年度は、ロゴがありませんでした。

その後BankART出版が本にまとめてくれた「集まれ!アートイニシアティブ」。河本さんのテキストも収録。これもあったので、寿のプロジェクトは初年度からたくさんの関係者に見てもらえたと思います。

A.C.Y. MAP。2008年秋バージョンにはたくさんのイベントも掲載。寿もプロジェクト名なし、時期は予定のみで載せていただいていました。

助成を活用してTAB Talks Featuring Yokohamaなんて企画もやりました。tokyo art mapも特別版を発行。

急な坂スタジオ企画、ACY、吉田町共催の「ラ・マレア横浜」は素晴らしい作品でした。

クリエイティブシティ国際会議2009のプログラム。8月に辞任した中田市長時代の取り組みの成果を元にした「横浜宣言」を林市長の名前で9月に行うという皮肉。

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