語られ続ける伝説のフェス『ウッドストック・フェスティバル』
どうも。神保町の音楽LOVERのGです。
まだまだ暑い日は続きますが、早いものでもう9月。
今年は台風とフェスの時期が重なり、大変な思いをされた方も多いと思います。やはり、どんなに文明が進歩しても人間は自然には逆らえませんね。
日本でもすっかりフェス文化が根付いてきたと実感する昨今ですが、フェスハイシーズンもひと段落し、ちょうど良いタイミングなので、今日はあの伝説のフェスに触れてみようと思います。
今からちょうど50年前の1969年8月15日から17日までの3日間、米国・ニューヨーク州ベセルの農場であるフェスが開催されました。
それが『Woodstock Music and Art Festival(ウッドストック)』。「平和と愛と音楽の3日間」を掲げ、超豪華なミュージシャン達のステージを詰めかけた約40万人の観客が共有した今も語り継がれる伝説のフェスです。
しかし、このウッドストック色々調べていくと“実は酷いフェスだったんじゃねぇ?”という疑惑が…。
ウッドストックって“酷いフェスだったんじゃねぇ?”と思う理由
予定会場が住民の猛反対にあい、1か月前に会場が急遽変更。
事前に18万6000枚のチケットが売れ、当日入場者は20万人を超えると予想。しかし実際はそれをはるかに上回る40万人以上が詰めかける。しかも入場ゲートと柵の設営が不完全で、半数以上が入場料金を払わず入場。事実上無料イベントの様相を呈した。主催者側は大赤字。
予想をはるかに上回る観客が押し寄せ、交通網は完全にマヒ。 「災害地域」と呼ばれ、ラジオからは「もう会場に向かわないでください」とアナウンスがされる。アーティスト達も足止めを食らう。
度重なる雨で、機材は濡れ、会場は泥んこ、演奏も度々中断。コンサートの進行は大幅に変更になる。 3日目の17日夜にトリを務めるはずだったジミヘンの出番は翌18日の午前9時。ほとんどの観客が帰ってしまったため、実際の現場に残ったのは2万5千人程度。
食糧や清潔な水の供給などインフラが整っていなかった。来場者は持ち寄った食料を分けあった。トイレや緊急用のテントなど必要な施設も十分でなかった。
人目もはばからずに全裸で湖で水浴びをする人多数。中には交接する男女も!!!
来場者も出演者も、LSDやらマリファナなどでいい気持にトリップしてる人多数。
会期中、トラクターに轢かれ死亡した少年、ドラッグの過剰摂取による死亡者、計2名の死亡者がいました。出産も2件ありました。
どうですか? これ、仮に今の日本で起こったとしたら…大問題ですよ!
しかし、世論は「40万人もの人数が集まったにも関わらず、大きな事件は無く、参加者は助け合って3日間を過ごしました。」と評価。
でも、一体なぜ今も❝歴史に残る素晴らしいフェス❞として評価されているのか?その一番の理由は「1969年に開催されたから」もうこれに尽きます。
1969年は時代の転換期。アメリカ国内ではベトナム戦争やら公民権運動やらウーマンリブやら問題積みでデモや暴動も多発。現場に集まった人々のなかには命を落としたり、辛く悲しい思いをした人もたくさんいたことでしょう。それと比べれば40万人もの人間が3日間も一カ所に集まって争いごとが起きない事自体が奇跡!目を背けたくなる辛い現実ばかりの中、なんと平和な集会なんだと感じたのではないでしょうか。
単なる音楽フェスの枠を超えて、時代やカウンターカルチャーの象徴としても語られ続けるウッドストック。これまでにも大勢の有識者が研究を重ね、関連の書物も多数出版されています。もっと深掘りされたい方は是非そちらを参考にしてください!
でもね、自分みたいな音楽オタクにとっては正直、時代とか文化とかそんな入り組んだ難しい話は二の次で豪華な出演者の素晴らしいパフォーマンスこそがウッドストックな訳です。ジミヘン、スライ、ジャニスetc.音楽好きなら避けては通れない極上のライブは必聴!!
スゴイですよね!!豪華ですよね!!!堪らないですよね!!!!
youtubeだと一部しかアップされていませんが、アーティストが個別にリリースしている音源や、開催50周年を記念した「ウッドストック50周年記念スペシャル・ボックス」もリリースされたばかりなので、当時の現地の熱狂ぶりと50年前の時代の空気を追体験してみはいかかでしょうか。
最後に、ウッドストック関連商品のジャケ写でよく登場するこのカップル、
今も二人で仲良く暮らしているんですって!
これからも末永くお幸せに!!
音楽はもちろん、当時の文化や歴史に興味のある方にもおススメです!
神保町で働く音楽好きによるディスクレビューなど。 洋・邦、ジャンル、年代関係なく、グッときたものを縦横無尽に駆け巡ってご紹介していきます。