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大久保寛司の「あり方塾」@東京7期#2ゲストが4人!③美佐緒さん&喜子さん


北と西の両菩薩が登場!


(寛司)ここからは、3番目の登壇者です。「あり方」三部作の2冊目「いま目の前にいる人が大切な人」を書いた「北の菩薩」こと、坪崎美佐緒さん。そして、実は菩薩が関西にもいる・・・ということで、大阪から清水喜子さんです。このふたりがここで揃うのは初めてです。お二人とも、どうぞ。


(寛司)まずは、ゆり奈さんのお話の感想からきかせてもらえるかな?
 
(坪崎)想いがあったらそのままにせず、行動されていて、出来ることをひとつひとつ見つけて、それを喜びにしていて、あの若さで、あの行動力で、あのスピーチ力、スゴイ。そういう風に物事をみられて、将来の仕事につなげるってことが素晴らしい。お母様とお友達の関係性も素晴らしいと思いました。
 
(寛司)喜子(のぶこ)さんは、自己紹介からどうぞ。
 
(喜子)大阪から来ました清水喜子です。コロナ禍にあっても人に直接関わることがしたいと思い、市役所を1年前に退職しました。最後のセーフティネットである役所こそ愛のある場所にしたいと思って取り組んでいました。色々な仕事をしてきましたが、最後は児童虐待・DVを担当し、福祉防災では災害時に一人で逃げられない方の避難計画を住民の方と一緒に考えることをしていました。上からの支援ではなく、人として同じ位置で支援しあえるような、お互い役割をもって、ありがとうを言い合える環境をつくりたいと思っています。かわいそうな人としてではなく、人として関わる大人が増えてほしい。そのためには、まず知ってもらうこと、社会課題に関心を持ってもらえることから。かわいそうな子は一人もいない、人には必ず力があるから。生きることをあきらめないで、自分の人生を自分で選んでいいんだということを、フラットな関係で伝え合える環境をつくりたい。ゆり奈さんの映画は、まさにそれを伝えてくれるもので、映画を通して子どもたちのことを広く知ってもらいと思い、映画会などの活動もしていました。

「役所は変わる」を実現した人

 
(寛司)坪崎さんの事は本をぜひ読んでください。喜子さんは、役所ではまれな人です。橋本市長時代、接遇の覆面調査で住民からの評価が24区中最下位だった区役所を、すべてのメディアから厳しい報道が行われる中、できていない点を責めるより、できているところに光をあてて感謝を伝える研修で翌年1位になり、在職中、ずっと継続することを成し遂げた人です。

「会社は変わる」(寛司さんがモデルとなった小説)は、民間の風土改革ですが、喜子さんがやったのは、役所の改革。「会社は変わる」は剛速球のみで(笑)社長のおかげで実現できたけれど、そのアプローチの仕方は、役所での喜子さんの生き方とも重なっている。永田(会社は変わるの主人公)の場合は、結構、きつい口調だけど、喜子さんの場合は口調はやわらかくて常に笑顔だけど、まさに「直言居士」。想いを伝え続けることをやってきた。実現できるまでぶれずに行動し続け、奇跡を起こした人です。住民の方からの厳しいご意見や苦情などには最後に対応する役割だった。大きな怒りの中にあっても喜子さんと話すと、穏やかになられ、いい関係性に変わっていく。まさに奇跡の人。
坪崎さんも、この点は同じです。表面上はマナー研修講師でコーチなんだけど、実際やっているのは、コーチングと言う世界を超えたことを実現している。事前の情報がなくても、課題がある人と直接相対すると、相手が変わっちゃうんです。

生まれてこの方、腹を立てたことがない


(寛司)ちなみに、坪崎さんは、ふてくされて座っている人にどうするの?
 
(坪崎)御礼をいう。そんなに嫌なのに来てくれてありがとうって。
 
(寛司)相手の第一声が『俺、しゃべることないぜ』って、そう言われると、坪崎さんは『そうですよね、その中でよく来てくれました』って返すわけです。そして3時間経つと人間が変わっているという奇跡が起こるんです。
 
(坪崎)クライアントの社長からも『どう説得したの?何を話したの?』って聞かれます。
 
(寛司)何をどう言ったからってそうなるものではない。この方の持っている、ひとつのエネルギー、パワーってこと。この二人の共通点は、人としては、なかなかあり得ないことです。二人とも、物心がはっきりついたころから、人を恨んだことがない。腹を立てたことがない。だから菩薩だと。
決して恵まれた家庭環境だったということもなく、ご両親の話を聞けば「よく家出しなかったよね」というような環境です。優しくもないし、丁寧じゃない親に対して、普通では腹が立つようなことをされても、「教えてくれているんだな」「つらいんだろうな」「何があったんだろうな」と考える。
 
ひとつ、こんなエピソードを紹介しますね。先日、熊本で合宿した際に、ずーっと悩んで悩んで悩み続けている40代の男性がバイクでやって来たんです。その方が坪崎さんと喜子さんと3人で話していたのが面白かった。
彼が「バイクで後ろから煽られたので、煽り返してしまった。煽られたら腹が立ってしまって…おふたりならどうしますか?」と話された時に、何と、二人は同じ答えを返したんです。なんて、返したんだっけ?
 
(坪崎)「申し訳ない」
 
(寛司)後ろから煽られたのに、なぜ申し訳ないの
 
(坪崎)「そういう気持ちにさせたことが、申し訳ない」と思ったんです。
 
(寛司)実は、喜子さんも全く同じ思考回路なんだよね。
 
(喜子)「急いでるのに、そんな気持ちにさせてしまって申し訳ないという気持ちになります 
 
(寛司)この感覚なんです。二人にはすべてがそう。腹立たないんだよね。さらに、追い越した後は、そのドライバーに「何事もないように」と祈る。この後、事故を起こすんではないかと心配する。相手の事を思いやるんです。通常だったら、腹が立つじゃないですか。でも、この二人はそうじゃないんです。いくつくらいの時から?
 
(坪崎)小さい時から。3歳くらいかな
 
(喜子)そうそう。
 
(寛司)ほらね。たいてい「そうそう」といって、二人とも同じ。大人をよく見ていた。物心ついた時から、どうしたら笑顔になってくれるかな?って、考えていたんだよね?
 
(坪崎)何で親はあんなに悩んでいるのか?どうしたら穏やかになってくれるだろう?って3,4歳の頃から思っていた。誰か抱きしめる人がいたらいいのに、自分は小さすぎで出来ない。私が出来るのは、父が怒りを出したときに、少しでも気持ちが楽になったらいいなと思って聴いていたし、おばあちゃんが怒った時も、話を聴いていた。気持ちのもっていきようがない時に、呼んでくれるので、少しは楽になってくれたらいいなって。
 
(喜子)笑ってほしいので、ことばを言い換えてみたり、穏やかな表情になってもらうにはどうしたらそうなるかなと、誰か抱きしめる人がいたらと無力ながら考えていた。小さくて聴くことしかできなかった。

ただ、本来の姿ではなくなっているだけ


(寛司)役所に人が来るじゃない。大きな声を出すひともいたと思うよ。坪崎さんだってどうしようもない怒りを出す人を前にすることもあるでしょう。二人は、いやだなとは思わない? 
 
(坪崎)絶対いい人のはずなのに、そうじゃなくなっているなぁって。
 
(喜子)自分でもそれを忘れてしまっているだけ、と。 
 
(坪崎)本来の姿でなくなっているから、本人が一番つらいんだろうなってね。
 
(喜子)自分の怒鳴り声をずっと聞いているわけだし…
 
(坪崎)そう。ずっと怒っているから、心が穏やかな時がない。辛いだろうなと思う。
 
(寛司)本人が勝手に怒っているとは思わないの?
 
(喜子)怒っているのは表面だけで、中身は大きな悲しみがあるから。
 
(寛司)いつもこんな感じでね。二人とも同じことを深堀していくんです。
 
(坪崎)その人の中の悲しみがね。
 
(喜子)そう、悲しみが大きいほど、何十年もずっと持ったままになっていて、誰もわかってくれないっていう悲しみが怒りになって、闘い続けたり、勝ち続けたりしないと、バランスが取れず、生きてこれなかったと思うんです。しんどかっただろうなと。誰にもわかってもらえないと思っておられる。その人の中には、赤ちゃんとして生まれた時のままの光がずっとある。なのに、自分でもそこに「ふた」をして生きてきているんです。だから、思い出すだけなんです。そのきっかけになるのが、聴くことなんですね。世の中に、たった一人でも、理解したい、わかりたいと思って聴いてくれる人がいたら、固まっていたものがほどけるっていうか、ゆるまるって言うか、消える瞬間があって、その時に、その人が元々もっていた光が勝手にあふれ出してくるんです。思わず優しい言葉が口から出て、ご自分でも驚かれるようなこともあります。すると、急に表情が変わって、優しいお顔になられたり・・・それまでずっと闘い続けてこられたんですね。



「理解しようとしてくれる」で人は変わる


(寛司)「ひたすら聴く」ということは、理解は出来るんだけど、本当に他人の事を100%理解するのは無理だろうとも思うんです。でも相手が変わるのはなぜか。私の本「あり方で生きる」にも書いてありますけれど・・・人は理解されたら変わると。
おふたりの話を聞いていると、相手が「この人は本当にわたしのことを理解しようとしてくれる」と思った時、そういう思いが伝わった時に、人は救われるというか、そんな感じなんじゃないかなと思ったんだけど、どうかな?
 
(坪崎)この人の事をわかりたい、知りたいという気持ちで聴いていますね。もちろん、すべてを知ることはできないけれど、その人の辛さや怒りの根源を知りたいと思って聴いていると、会社でも高い地位の方が、ボロボロ泣いたり、しゃくりあげたり、人前で泣いたのは初めてという方も結構います。
 
(喜子)大きな怒りを出されてる方と、向かい合っていると、辛かっただろうなあと抱きしめたい気持ちになります。 
 
(寛司)大きな怒りを出している人を抱きしめたくなる?どうして、そう思えるのかなぁ。このふたりが腹を立てないのは、目の前で起きている厳しい状況に向かうのではなく、その原因を探ろうとするところです。きつい言葉や態度には、反応していない。奥底の原因・理由、そのマグマの奥底に焦点を合わせると、腹立ちが起きない。余程何か悩んでいたのか、幼い頃、何かあったのか・・・その理屈を僕は説明できるけど、出来ているかどうかは横に置いておいてください。私はこのふたりのように出来ないんだけどね(笑)一緒に動いていても、僕はイラっとする場面でも、ふたりはそういうことはない。そういう時には、自分はまだまだだと、この二人には近づけないな、と思います。
 
市役所の窓口にも、色々な人がくるでしょう。この人は何ともならんと言う人は何人くらいいたかな?
 
(喜子)いませんでした。
 
(寛司)じゃあ、社内ではどう?
 
(喜子)誤解されやすい人はいますが、お話ししたらいい人なんです。他の人から聞いている様子とは全然違う。その人と話すと怒って帰ってくるけど、私が話を聴いてみたら「なんていい人なんだろう」と。違う人なんじゃないかと思うくらい。 
 
(寛司)どうしてか、すごく簡単です。その上で大事なのは、喜子さんと相対すると、人は、良い所しか出さなくなる。他の職員にはダメな所しか出さない。これを厳しい観点でみると、他の人は、その人からダメな所を引き出している。つまりこの二人は、相手のいい所を出す達人なんですね。
 
(喜子)一度、良い面を出してくれると、他の人にも出してくれるようになるんです。
 
(坪崎)持ち場に帰ったら、急に変わったんですけど、と、優しくなったんですけどって、よく言われます。

心を「観る」力、信じるのではなく「ある」


(寛司)なぜ相手は、自分のいい所を出しちゃうと思いますか?偶然はない。ふたりはそろって、相手からいい所が出てくるアプローチをしているはずです。何だと思いますか?私が考えるのは「観る力」ですね。

相手の良さを「観る力」「見抜く力」がある。そして観ることは創ることです。想像は創造に近い。だから、絶対にいいものがあるという前提で、いいところを観ているんです。そこに例外はない。すべての人に、いいところはある。ただ、それを出していないだけ。そんな思いを強く持った時に、変わるんですね。

奥にあるいい所を信じるのではなく、表面の荒れたところをみてジャッジするから、良いところが出てこなくなるわけです。だから、いまひとつ、良い所が出ていない人と対峙した時に、自分の思いや思想をそこにもっていけるか。私は自分との勝負だと思っています。
 
「いい所がある」と信じているのではない。ふたりは「あるんです」と言う。信じているではだめ。「信じる」と「ある」は違います。
このふたりは「信じている」ではなく「あるんだ」と言います。(ふたり、顔を見合わせてうなずく)その結果、人の信じられない変化を生んでいるですね。

【あり方塾 2024年5月23日開催リポート】
文責:橋本恵子

【大久保寛司さん】
1973年に日本IBM入社。業務改革推進本部を経てCS担当となる。
顧客重視の経営革新、企業の体質改善と仕組みづくり、社員の意識改革などに尽力し、会社の風土改革、体質改善に奔走してきた。お客様満足度向上委員会の事務局長としても活躍。2000年の退職後は「人と経営研究所」を設立、所長として“人と経営のあるべき姿”を探求している。
全国から指導・講演依頼が殺到しており、企業はもとより、医療機関、自治体、教育関連団体からの要請も多い。相手の立場を大切にする分かりやすい説明には定評があり、特に気付きを引き出す合宿研修は「参加者の意識が大きく変わる」と絶賛されている。
2024年4月には、日本IBM時代のエピソードをもとにした小説「会社は変わる」(園田ばく著 エッセンシャル出版)をプロデュース。

「あり方塾」
多くの学びが焦点を当てる「やり方」ではなく、自らの「あり方」をみつめ、整えることを大事にする学び場。企業風土改革の第一人者である大久保寛司さんから「あり方」を学び、ともに考える勉強会で、隔月1回の開催(リアル&オンライン)が基本で、開催翌月にZOOMによる復習会もあり。




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