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「おせっかい」が地域を救う?

自分でも相当な、おせっかい おばちゃんだと思う。

静岡市では「小中一貫コミュニティスクール」という仕組みの中で、各中学校区にひとり「統括的地域学校協働活動推進員」という、地域と学校を結ぶ役割の人が配置(学校からの推薦や指名による)されていて、私もそのひとりとして、息子がお世話になった中学校で「トーカツ」をしている。

引き受ける以上は何かしなくてはと、週に2〜3回程度の割合で、朝、子どもたちの登校時に「交通指導」と「挨拶活動」をしている。ちょうど3年前から朝のジョギングを始めたので、セットにしてルーティンにすれば負担もないかな?と思って、運動公園をジョギングした後、学校に立ち寄り、旗を振ったり声をかけたりしているのだ。

今朝も、校門前で挨拶をはじめてしばらくしたら、中学生たちが校門を入ってすぐの場所に30人くらいずらりと並んで「おはようございまーす」と、挨拶を始めた。

気になる。

全く心がこもってない。

だらーっとしていて、ただ、声を出しているだけ。

「これじゃいかん!」と、おせっかい熱が高まり、横断旗を隣にいた校長先生に任せて(笑)、「はぁい、特別レッスンだよ」と生徒たちの前に行って
「声出し指導」開始!

「おはようございます」って、どんな気持ちで言ってる?と、尋ねながら、「気持ちが入ってないとどんなに大きな声でも、相手には届かないんだよ〜
もったいないでしょ」

「今日も会えたね」とか「来てくれてありがとう」とか
「ちょっと今日は遅いね」とか・・・気持ち入れて、言ってみよう、はい!

耳に手を当てて、うながす〜暑苦しさ(しかも、昭和ですがな)

すると、どこにでもいる、いがぐり頭の(野球部と判明)ちょっぴりお調子者男子が「おっはようございま〜す」と、大げさに叫ぶので、すかさず「いいねぇ」と背中を押し、さらに「実は、おばさん、アナウンサーだったんだけどさ、君、なかなかよく通るいい声だね〜」などと、強みをフイードバックする。

まあ、中2ですからね。みんながみんな素直に聞き入れることもなく、めんどくさそうな表情の子もいましたけれど、「声」には「気持ち」を乗せないと伝わらないってこと、知ってもらえるチャンス、逃したくなかったんです。

「社会に出たら、相当、役に立つよ。だって、どんな仕事だって、声は出すし、何より、挨拶で第一印象も決まるしね。はい、トレーニングだと思って、いくよ〜」と、朝から、熱量たっぷりの「横断歩道のおせっかいおばちゃん」という役割を演じてきましたわん。


先日、山根基世さんが「もうね、何でも遠慮しないで言っていこうと思うのよ。どう思われるかとか、そういうことよりも、伝えたいことは、話さなくちゃね」と仰っていて、師匠を尊敬する私としても、目の前の中学生たちに、どうしても伝えたくなってしまったんです。

「おせっかい」なんだろうと、思います。でも、誰かが「おせっかい」しないと、人と人の関係性って育まれないし、そこは大人が勇気を出そうと!思ってね。

押し付けたくはないけれど、適度な距離感で、せっかくの「トーカツ」という役割を活かして、これからも、時に勇気を出して、楽しくおせっかいしていきたい。

高校時代、部活でひとり朝練に通っていたころ、学校近くの工場のおじさんが「おはよう、毎朝、早いね」と声をかけてくれたのに、なんだか恥ずかしくて無視してしまったことがあって‥‥実は、その時の自己嫌悪をずーっとひきずっていて、後に「作文」で懺悔?するのだけれど、好悪問わず、どういう反応であれ、関係性の中で気づきがあるならば、ちょっとした「おせっかい」にも意味があると信じたいんです。

いつか大人になって、校門前に「おせっかいおばちゃん」いたな?なんて、懐かしく思い出してくれたら、ちょっと嬉しいしね(笑)



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