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おねしょしてた私、お漏らしてた私


あなたは子供の頃おねしょをしていましたか?
おむつをつけていましたか?
どうやって布団を干しましたか?
恥ずかしかったですか?


私、結構いい歳までおねしょしてたんですよ。
はい、5年生まで当たり前のようにしてました。しかもちょっとどころではなくジャーーーーーーっとね。

アハハ


おねしょどころか日中にお漏らしまでしてましたね。
低学年の頃はいつもズボンの後ろが気になって(前は自分で見えるからね)雨の日や雪の日は堂々としたもんです。


お漏らしの経験値も上がって小4にもなると自分がどの程度漏らすとズボンに染みるか、乾きにどの程度時間がかかるか、不快感になるか、いろんなことが解るようになってました。
ズボンに染みないよう椅子も斜めに座ってましたよ、はい。



母には、めちゃくちゃ怒られ不適切な言葉で躾けられました。
今思うと、ひどい言葉のシャワーで、私は長い間、自分には生きてる価値がない人間と思い込む殻が厚くなってしまったのだなぁと感じています。(私が中学の頃には男のところへいきその後、父とは離婚しましたがね。父子家庭女子の私でした)



不思議なことに母と離れてからおねしょの回数が減っていき心がここまで体に影響するのだと、

自分の体にも精神的なものが影響しているのかと実体験したわけです。


離婚してからというもの、父方のおばあちゃんが様子を見に家によく来てくれるようになりました。
ある日のこと祖母はおねしょに気付いて病院まで連れていってくれました。

おばあちゃん、車もないしお金もないのにありがとう。


そこで初めて検査しました。
膀胱のタンクの容量を測る、そんな検査だったと思います。
自分としても、お漏らしやおねしょは恥ずかしい認識はあったし、知的障害、発達障害など何かしら自分は何か見つかるだろうと思っていたんです。



15歳の高校中退した茶髪のエクステつけ生意気にブランドバック持っていた私がですよ、お漏らししてます、実はおねしょもします。と。

股をおっ広げ膀胱に水を入れどの程度で漏れてくるか、先生と看護師さんが真顔で何も言わず淡々と検査して下さった事、本当に感謝しました、

(母には寝ションベンばっかしてるくせにカッコばっかつけて頭おかしんじゃねえの、自分でおかしいと思わねえのか?
おかしいと思えよ、と言われ育ったもんで。)舐められたくなかったんでね、強そうに見せていたいと自分ではわかってました。


おっと、話がズレた



検査結果としては、膀胱のタンクは確かに小さめではあるが範囲内、特に体の異常もないようだ、とういう診断でした。


自分は範囲内に入る人間だったのか、途端に自分は自分で思うような人間ではないのだなと感じた15歳の春です。


そこから私という個性はたちまち自分とは一体何者なのか自分の感覚はもしかしたら正常で傷つくことも、悩むことも当たり前のことかも、

じゃあ一体なぜ自分は自分でイカれていると決めつけていたのか、自分がわからなくなりました


が、こうして経験することで自分は何を感じどう感じるのかが全てで、どう感じるかの感情とたくさん出会うため、いろんな事をたくさん経験したいと思いました、

そうすることによって自分の気持ちをわかって欲しいと枯渇していた幼き頃の私が感じていた感情は自然のことで、みんなの気持ちがわかってあげられる理想の人間になれるのだと信じてました。


で、34歳になり思うこと。

いらぬ(好ましくない)経験や苦労はすべきではないと言う事、知らない方がよかった世界があるということ、プロの意見、人の言うことを聞くべきと言うこと。そして知識(勉強)は必要ということ。

そして自分は思ったような優しさ強さは身につけていなかったし、身に付けるにはとても大変ということしか気付けていません


私の苦労、経験はなーんにも生かせてません
社会で役立ててもいませーん


でも生かせるように諦めてないぞー!


結果、おねしょをして恥ずかしいと感じていた経験によってトイレトレーニングやお漏らしで子供を叱る事はなかったし、トイレトレなんて全然ヨユーでした。


おねしょからたくさん傷ついて生かせた事、これだけ。


たったそれだけだけど、充分だね。



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