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自分は誰かにとって有益な存在になれるのか

 大学生になってSNSをはじめた。具体的にはインスタグラムとTwitterだ。元々好奇心が強く、周りの人の些細なニュースや投稿でも何かを知れることに嬉しさがあり、瞬く間に暇なときはSNSを覗く人間となった。自分自身は自分の情報をあまり表に出したくないという思いから、基本的には投稿をしないようにしており、情報収集のためにSNSを使わせてもらっている。

 そんなSNSを日々見ていると、時折自分の彼氏や彼女を載せた友人の投稿を見る時がある。さりげなく、彼氏や彼女のアカウントを写真にリンクとして載せているものもあれば、どこかに流出する可能性などお構いなしに派手にツーショット写真を載せている投稿もある。

 これまでの人生で彼女がいたことがない私ではあるが、一切の強がりなどではなくそうした投稿を見ることに対して何かしらの嫉妬のような感情は基本的には一切なく、ある種どこか遠い世界を覗くような気分で彼ら彼女らの投稿を見ている自分がいる。

 大学生になり、曲がりなりにも日本屈指の総合大学である早稲田に通う私ではあるが、結局彼女が出来ずに4年間を間もなく終えようとしている。正直なところを言えば、彼女がいたら良いなと思う気持ち(彼女がいる生活を体験してみたい)がある一方で、そのためにサークルに入ることや合コンに参加しまくることは自分にはできなかった。スペックとして自称顔面偏差値50である自分がもしも彼女を本気で作ることを考えたらならば、サークルに入るなり、女の子が多くいるバイト先を探すべきであった。だが、それはしなかった。恐らく、自分は愛に飢えているタイプではなく、(本当は強がりなのかもしれないが)1人でいることにあまり苦痛を感じない人種なんだと思う。

 そんな自分ではあるが、最近SNSのいわゆるリア充の投稿を見ていて、ふと思う事があった。

「この人達って元は赤の他人なのに、なんでこんなに心を許せるんだろうか」

 SNSを通して私の目に映るカップルは少なからず私よりもキラキラした時間を送っているものであり、そこに映る2人の間には自分が決して立ち入ることのできない世界が見えるものだ。10年来の付き合いになる友人に関しても、私と2人でいる時に心を開いてくれるのか、色々な話をしてくれるのだが、インスタグラムのストーリーなどで彼女との時間を上げている時は、私には決して見せない表情がある。(彼女に見せる表情と親友に見せる表情が違うのは当たり前と言えば当たり前だが…)

 はっきり言って、私はリア充爆発しろといったことは一切思わない。これは強がりなどでは一切ない。ただ、自分が彼らを見ていて思うのは自分が彼らみたいに誰か赤の他人にとって愛される存在になれるのかだ。

 いわば、点と点としてあった自分と1人の女が線として伸び、そして交わり世界を作れるのかということだ。

 誰かにとって愛すことのできる、そんな存在に自分がなれるのか。はっきり言って自信がない。自分で言うのもなんだが、スペックは悪くないと思う。運動は人よりもできる。勉強もできる。真面目で誠実な人柄も恐らくあると思う。だが、私には彼女がいない。そしてこれから先、本当に好きな人が出来た時に、その人に私が持つ熱量と同程度の熱量で接してもらえるのか、とても不安である。

 スペックの話をすると女は大抵嫌がるものであり、恐らくそうしたペーパー上の能力と恋愛市場での評価は別なんだと思う(この点に関してだが、私が大学生であることから、当然恋愛トークをする相手も大学生の女であり、男選びにおいて限られたコミュニティでは男のスペックに差異が出にくいことも要因であると考える)。

 誰かにとって愛される、一緒にいたいと思うような人とは何か。はっきり言って分からない。SNSの投稿などで彼女がいる男を見て、共通項を見てみてもぼんやりとしか伝わってはこない。

 人間は人間である前にヒトであると私は考えており、結局は動物である。他の動物と一線を画すものこそが、理性であり、その積み重ねの先に今日の文明社会がある。だが、人はヒトだ。であるならば、恋愛をすることは至極まっとうなことであり、それが22歳になって出来ていない自分に焦りを感じる部分がある。

 焦りはあるが、それでも私はフェアに恋愛をするつもりだ。自分の欲を満たすために、彼女を作るようなことは相手に失礼であると考えており、この姿勢だけは貫き通したい。恋愛市場において、恐らく商品価値が低い自分がいかに自分が好きな人に好きであると思ってもらえるか。言い換えるならば有益な存在となれるか。そしてそれが、無理に自分を作ることなく、健全な向上心を備えた上で相手と互いに尊敬のできるパートナーとなれるか。

 はっきり言って、早稲田に入ることよりも、人気企業に入ることよりも、誰か、そう世界中の誰か1人の異性にとって愛すことのできる自分になれるかは、私にとって最大の難題である。

 私は誰かにとって有益な存在となれるのだろうか。

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