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ギルドハウス十日町

再会を喜び、富山の友人をあとにしたボクは海沿いを北上して新潟を目指しました。

夏の香りがし始めた海の風はとても気持ちが良いものです。

ここまで色々なトコへ寄り道してきましたが、今回の家なき旅の一区切りとしていた場所がありました。

まぁ、その詳しい話はまた改めてすることにして。

実はそこに行くのをわざと遅くして、遠回りしている感じもありました。

行きたいけど、行きたくない。

もしそこに辿り着いて、ダメだったときに次に行く先の情報を持ち合わせていなかったのです。

今までの人生の中にもありました。やりたいのに理由をつくって、後回しにしてきたことが色々と。

でも、進まないとまたその先には進むことは出来ない。

新潟に入り、上越市まで行くと海沿いから、山間部に入っていき、期待と不安を胸に十日町市へ。

ここは日本でも数少ない有名な豪雪地帯。そして、その凄さはこれから暑くなる季節でも一目見れば、わかります。

家がコンクリートにより、底上げされていて、一階部分が二階部分になるとこにあり、その一階部分に屋根の傾斜がないので、鉛筆のようになっている縦長の住宅が多いのです、、(説明ヘタですかね?分かりづらかったら、ごめんなさい)見るとちょっと可愛い建物。

古い家は木造なのですが、この地域にしかなさそうな、初めて見る形。

その日は霧もあり、山間にポツラポツラあるその建物たちを見ながら、車を走らせると、何だか日本ではなく摩訶不思議な世界に迷い込んだような気分でした。

そして、急に山道から視界が広がり大きな街が。想像もしていなかった景色が現れたので、とても驚きました。

夕方でしたが、商店街にはそれぞれ明かりがつき、まだまだ活気のある様子。

そんな市街を通り、また山に入っていく途中に目的の場所はありました。

「ギルドハウス」

知ってる情報は家賃が決まっていないシェアハウス。豪雪地帯にある築100年ほどの古民家。それくらいだったでしょうか。

中を覗くと何だか薄暗い。

どんな人がいるのだろうとドキドキしながら「ごめんくださ~い!」と声を掛けると、

「おー、よく来たねぇ。まぁまぁ上がって、上がって。」とオーナーらしき男性が快く笑顔で迎えてくれました。

漁港でケースで買ったアジがあったので、「お土産です」と手渡すとキッチンで調理をしている男の子が。どうやら、住人が当番で夕食を作っているらしい。

やはり最初に迎え入れてくれた男性がオーナーさんで年齢は40半ばだろうか、

「何日くらいいるんだい?お米はいつも炊飯器に炊いてあるんで、好きなときに食べていいから。お金?な〜に気にしなくていいよ。好きに食べて、好きなだけゆっくりしていけばいい」

滞在する間、一泊いくらくらいなんですか?と尋ねると、お金は気にしなくて良いので、ゆっくりしなさいと言われ、ボクは「は、はぁ」と何だか拍子抜けな感じ。

住人の人達も食事の時間になると帰ってきたり、部屋から出てきたりして、一緒に食べて、何だかほっとしてその日は眠りにつきました。

翌日、仕事を探そうと街へ出ることにしました。家なき子になってから働いていなかったので、少し焦りもあったのです。

ギルドハウスは交通の便が実によいのです。駅まで15分。乗ると二駅で中心街に出れます。徒歩が好きな自分は歩いたりもしていましたが、そうすると小一時間ほどでしょうか、

数日、働き口を探しましたが、そんなにすぐに見つからず。

オーナーが「焦ることはない。繋がりでいつか見つかるから、のんびり構えればいい」と。

それを聞いて有難くもあり、でも複雑な心境のボクは「あの〜、、そう言って下さるのはとても有難いのですが、何ですかねぇ、やっぱりお金を払わずダラダラと居させてもらうのは何だか申し訳ないような気もして、気が引けまして、、何でタダで居させてくれるんですか?」

すると、テーブルにある本を指差して、読んでみてくれと言われました。

その本にはこの場所が出来るまでの取材を受けたときの記事が書かれていました。

その内容は

オーナーは元は誰もが知る大手企業で働き、その後、仲間たちとベンチャー企業を立ち上げなどもしていたバリバリのビジネスマン。

収入にも不満はなく、美味しい食事や旅行にもよくお金を使っていたそう。

そんなある日、40歳という年齢になり、自分はこのまま走り続けるのだろうか?そんな疑問が次第に大きくなり、退職をすることに。

とは言っても次は何をすれば良いのだろう?

右も左もわからず、情報も乏しいまま、手探りで全国のコミュニティを周ることを始めました。

最初は貯蓄もあり、新幹線などを使い、移動していたのですが、バスに変わり、お金も減り、ついには底を尽きることに。

そんなときに滞在した地域の人に仕事を紹介してもらったり、食事をご馳走になったり、イベントを企画して、お金を稼げば良いとアドバイスをもらったりと、様々な人の助けによって救われたそうなのです。

人の繋がりがあれば生きていける。

そう思い、誰もが集える場所をつくったのだそうです。

読み終えると

「わかってもらえたかな?色々な人に助けてもらったし、全国に家族のような仲間が増えたらいいなと思うんだよね。息子が実家に帰ってきて、ゴハンにお金をとらないでしょ?そう言うこと。」

そして、旅したいときや自分が住んでいる場所が災害により、住めなくなることがあるかもしれない。そんなときに泊めてくれたら、それでいいじゃないと笑うのです。

僕がしたいことはこうゆうことなのかもしれない。そう思いました。

自分はブラック企業に勤めて、一日16時間も働き、ノイローゼになり、末期には睡眠薬と精神安定剤が手放せない状態にあり、そんなときがありました。当時、こんな気持ちで休ませてもらえる場所があれば、どんなに救われたろうか。

しばらくココにいさせてもらって、次の行動をしっかり練ろう。そんな気持ちを胸にもう少しこの街へ滞在することにしました。

つづく

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