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本当に他人との価値観の違いを受け入れることできます?

「価値観の違いを受け入れよう」

ここ近年そんな声が、色々なところから上がってくるようになった今の日本。

背景には、人種差別やLGBTなどが私たちの生活に表面化してきたことがあるからかもしれません。
それに拍車をかけるように、「開かれた日本」やSNSがインフラ化したことで、耳障りの良いキーワードが多くの人のマインドに刷り込まれていったようにも映ります。

さて、僕も世界各国色々な国や町を見てきて、いくつかの国や町、もっと言えば部族の集落でも生活をしてきました。
もちろん日本とは価値観から考え方、文化や感覚の全てまで違うことを多く経験すると〝違って当たり前〟という感覚になります。

それであってもやっぱりこんな自分でもちょっとしたことに首をかしげることがあります。

例えば、外国では店の店員が横柄な態度であっても、いつものことなので何も感じません。しかし日本で同じような態度を取られるとイラっとすることもあります。

「私はどんな人の価値観も受け入れているし、全ての人の意見を公平に見れる」

そう思っている人も、そうでない人もちょっとこの記事を読んで考えてみてください。


戦争は楽しい

以前、ヨルダン人の友人がいました。
〝以前〟と書いたのは、彼との交流関係を絶ったからであり、現在は友人関係と呼べる関係ではありません。

きっかけは彼の一言がどうしても受け入れることができなかったから。


ロシアがウクライナに戦争を仕掛けた時に彼は言いました。

「わお!最高だね!これから世界が面白くなってくるね!」とニコニコしながら僕にスマホのニュースを見せてきたのです。

「おい、俺たちは戦争を二度としないと誓った国民なんだ。戦争に良いことはない。お前の発言が俺には信じられない。日本で生活をするのならその言葉は二度と口にするな」と、僕は言いましたが「なんでだよ?めちゃくちゃエキサイティングじゃないか」と彼が食い下がってきたところで「すまんな、お前との関係はもういいわ」と、一方的に関係を絶ちました。


では、あなたはこのヨルダン人の価値観を受け入れることができますか?

「そうだよね。世界は広いからあなたのように感じる人もいるよね」

と、日本人の血が流れている、私たちに受け入れることができる人はどれくらいいるのでしょうか。

しかしそれであっても「他人の価値観を受け入れよう」は、これらの意見も受け入れるということになるのです。



先進国と後進国

日本や欧米諸国の国で育つと、後進国の現状や彼らの考え方は表面上でしか分かりません。

我々は我々の生活レベルや、安全レベルをベースに物事を考え、世界と比べます。

よく「日本では〇〇だけど世界では〇〇だよね」なんて表現をする人がいますが、どこの国と比べて世界と比較をしているのか、僕には疑問符が浮かびます。


「日本って世界に比べて教育が遅れているよね」


果たして、ネパールと比べて遅れているのか。ベネズエラと比べて遅れているのか。キルギスタンと比べて遅れているのか。ルーマニアと比べて遅れているのか。

世界を知らない人に限って、安易に言っているように感じます。

「日本って世界に比べて、、、」と。


世界的に見た時に先進国と呼ばれる国々は1割から2割程度。その次に中進国が3〜4割。それ以外は後進国に入ります。

先進国で育つと、後進国で育つ人々の不満やストレスを感じることはできません。また、価値観や考え方も全く違うものなのです。

後進国の人々は自分たちが貧しい暮らしをしているのは先進国の人々のせいであると考えている人も少なくはないのです。
そしてまた、先進国が貧しい国々へ支援をするのが当たり前のことであると考えている人々も少なくありません。


戦争が身近な国と遠い国

日本の近隣諸国でも物々しい動きが見られるようになってはきたものの、オンタイムで戦争を行なっているわけではありません。

しかし、イスラエルとパレスチナのように中東では、常に戦争の火種を抱え隣り合わせで生活をしている人々がいるのも確かなこと。
冒頭に書いたヨルダンはイスラエルの隣の国になります。

彼らの戦争概念は、日本人とは全く違う概念を持ち合わせているのだと思います。

おそらく先日から再び始まってしまったイスラエルとハマスの戦争では、多くの人々が興奮し中東では「イケイケどんどん」の国民も少なくはないのでしょう。

地獄を見るよりも、戦争によって世界がひっくり返ることの方が彼らにとってはエキサイティングなことなのです。
アメリカや欧米諸国が中心で世界が回っていることに、後進国の多くの人が不満やストレスを抱えているのが地球での現状でもあり、日本人の多くはそれらのことを認知できていません。

なぜなら日本は先進国であり、尚且つそのストレスの矛先を向けられることが少ない国だからです。


「日本人に生まれた時点で宝くじの当たりを引いたようなもの」

一歩海外へ出ると、このようなことを耳にすることがありますが、基本的にはその通りだと思います。

それだけ特殊で恵まれた国の一つであることは、自分自身が各国を歩く中で感じたことの一つでもあることだからです。


多様な価値観とは

海外で長く暮らし、様々な国を訪れることが多様性のある価値観を育むことかと言えば、必ずしもそうではないかもしれません。
海外で長く生活をしていても「私、この国のここだけは受け入れることができない」そんな話をする日本人も少なくはありません。

戦争を起こす人々を認める。
犯罪を起こす人々を認める。
支配をする人々を認める。

あなたはできますか?

他人の価値観を寛容に受け入れようという風潮が強まっている昨今、あなたはこれらの価値観を受け入れることができますか?

しかしながら、これらを起こす人々の中には彼らなりの正当性や様々な原因があり、それぞれの価値観があるのです。

以前、ブラジルの教会で熱心に祈りを捧げる男性がいました。
僕の隣にいた男性はこう言いました。

「この中にこれから他人を殺めに行くために祈りを捧げている人もいるんだぜ。神は全てを許し、認めている」と。


あなたに全ての人々の価値観を受け入れ、多様性のある価値観を認めることは本当にできますか?

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