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セルゲイ

インドの首都デリーでバスを待っている時に声をかけてきたフランス人のヴォノと一緒にリキシャに乗って揺られている時だった。
砂埃が舞う口元をスカーフで覆いながらヴォノは大きな声で道ゆく大柄の白人に叫んだ。

「おい、ブラザー!ここら辺で安い宿は知らないか?」

大柄の男は振り向くと、強い東欧訛りの英語で答えた。

「俺の泊まっている宿に来いよ」

「どうするアキ?」と聞くヴォノに僕は「問題ないよ」と答えた。
2011年の2月。インドは「ハリドワール」という、ヒンドゥーの聖地と呼ばれる町で出会ったロシア人の男の話。


ハリドワール

宿にチェックインを済ますと大柄の男は言った。

「荷物を降ろしたら、街中でチャイでも飲まないか?」

「もちろん」と答え、僕とヴォノ、そしてヴォノの彼女のマリアは別々の部屋に分かれた。
僕は荷物を部屋に降ろして着替えを済ますと宿の外に出た。
男はタバコを吸いながら宿の外で僕たちを待っていた。

「俺はアキ。日本人だ。よろしくな」

そう言うと、少しだけはにかみ「俺はセルゲイだ。ロシアから来た。よろしくな」と、金色の長いあごひげを軽く触わった後に僕に手を差し伸べた。

セルゲイがタバコを吸い終わる頃に、ヴォノたちが降りてきて、僕たちはハリドワールの街中を歩いた。

インド北部の小さな町だが、多くの日本人が知っている俗世界とはかけ離れ、強烈な宗教観とインドの雑多感が入り混じる独特な世界。多くの旅人はこの町を経由して他の町へと行くが、もしステイしたとしても、長くステイする旅人はあまり多くない町かもしれない。

そんな街の小汚いカフェで僕たちは安いチャイを飲むことにした。


淡々と

ロシア人とじっくり話をするのは初めてのことだったかもしれない。
丸いテーブルを四人で囲んでチャイを飲んでいると、道ゆくインド人がチラチラと見ていた。

フランス人のヴォノ、スェーデン人のマリア、ロシア人のセルゲイ、そして日本人の僕。

「俺たちが珍しいか?」

陽気なヴォノがインド人にそう話かけると、彼らは少し照れ笑いながら足早に過ぎ去っていった。

チャイについてきたビスケットを、美味しそうに食べながらマリアはセルゲイに聞いた。

「ガンジス川は近いの?」

「そうだな。10分も歩けば着くよ」

「セルゲイはどれくらいハリドワールにいるの?」

「2、3日前かな。悪くない町だ」

マリアとは対照的に、セルゲイはあまり表情を変えて話をしないやつだった。
淡々とそして、どことなく機械的な感情を感じさせつつも、何かを探しに旅をしている雰囲気を持ち合わせていた。

好奇心で旅をしている旅人とは違った、背中に影を持ち合わせたような印象という表現が適当だったかもしれない。


ガンジス川を眺めながら

陽が落ちると僕たちはガンジス川の辺りへと向かった。
多くのインド人が辺りに座り込み、裸足の子供達がうろついていた。

夜だというのにそこに集まる人々の祈りのエネルギーと、それを包み込むようなガンジス川がそこにはあった。

街に灯る街灯がガンジス川の水を照らし、表面上ではゆらゆらと光が動いており、僕たち4人も気がつけば川の辺りに座り込んで、ガンジス川を目の前にしていた。

誰もが何かを語ることなく、ただただ黙って眺めるガンジス川。
落ちている小石を拾い、なんとなく川に投げ込むヴォノの横に、物乞いの子供がやってきたが、ヴォノは首を横に振って子供を追い払った。


「セルゲイ、旅はいつまで続けるんだ?」

僕が沈黙の中口を開くと、セルゲイは肩をすくめ「さあな」と答えたが、少し間を置いた後に「あと半年は旅を続けるかな」と言い直した。

北海道出身の僕にとっては、近くて遠い国の一つ。
どこかの国を旅するとなった時に、選択肢として考えることもない国だった。
ロシア人の旅人もまた出会うこともなかった。ロシアの国民性や国の通貨の国際的な弱さもあるのかもしれない。

「ロシアはいい国か?」

そう聞くと「悪くはない」と答えた。
セルゲイはポケットに入っていた、タバコを取り出して火を点けると再び薄暗い中ガンジス川をじっと見つめていた。


今思う

僕が出会ったロシア人の旅人はセルゲイただ一人。
その後、セルゲイとは次の町でもすれ違い、少しばかりの会話を交わした。

多くの国の旅人と出会い、別れてきた。
その中で連絡を今でもとっているのは、ごくわずか。そして、こうして覚えている旅人もごくわずか。

セルゲイと連絡をとることはなかったが、記憶には今でも残っている男の一人。立派なアゴヒゲと、大柄の割にどこか悲しげな背中。

きっと世界を知って、セルゲイは沢山の刺激を受けただろう。
自分の国では報道されていなかったことを多く知り、世界中の旅人とすれ違っていったのではないだろうか。

今、お前はどこにいるのか。
僕は今も尚、旅を続ける旅人として歩いてほしいと、勝手ながらに思っている。

召集令状がロシアの国民に出たと報道が流れた時に、セルゲイのことを考えた。
お前も、受け取ったのかと。

旅人が国を越える時に国境を越えることはあっても、旅人同士に超えなければいけない国境はない。

セルゲイ、今日もお前はどこかの国の雑踏の中を歩いていてほしい。
国の政治に左右されることなく、国境のない旅人の一人として。

手に銃を握ることなく、悲しみと孤独を握る旅を続けろ。


インド北部の小さな町で共にしたセルゲイへの切なる願いだ。

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