朝8時20分に職員室で飲むコーヒー
「おはようございます」
そう言って職員室に入り自分の席に着くと、カバンを置くとまずコーヒーを淹れる。
甘いものが飲みたいときはカフェオレか、ロイヤルミルクティーを飲む。
僕は机に座りながらまずはスマホで学校のツイッターをチェックする。
職員室から窓の外を見ると、雪が降る中生徒が登校してくる。
「またあいつは上着も着ないで」
「あれ?あの子珍しく一人で登校してるね」
先生方が登校してくる生徒を見ながらあーでもない、こーでもないと話をするのを横で聞いている。
そして学校での一日が始まる。
3年目
しかし単純な計算が苦手だ。
今自分が学校で働いて3年目なのか4年目なのかよくわからない。
先ほど、指折り数えてみたらおそらく今は3年目。
この町とこの学校に来て、3年が経った。
相変わらず冬の生活はサバイブな町で面白い。
色々な国や町に友達がいるが、地元周辺に集まる友達との遊びが楽しい。
以前、沖縄の宮古島や淡路島に住んでいた時に、ローカルの人たちが友達たちと楽しそうに遊んでいるのを見て、羨ましく感じたことがある。
移住者は、やはりそこのローカルと若干の違いを感じる。
おそらく僕の地元周りに住んでいる、北海道出身以外の移住者も同じ感覚を持っているのかもしれない。
公立高校の先生方は数年で移動する。
3年目ともなると、僕は学校で中堅の部類に入るだろうか。
若い先生も多いのである程度発言権も認められてはいるが、できるだけ学校や教育のことについては発言しないように心がけている。
熱いコーヒーをズルズルとすすりながら、僕は職員室の隅っこでイヤホンをしてブログを書く。
一人だけフリーランスのような働き方をしているかもしれない。
トランスチャイム
学校にいると定期的にチャイムの音が聞こえてくる。
〝キンコーンカンコーン、カンコーンキンコーン〟
毎日聞くと、トランスのように感じてしまい、音楽が好きな僕としてはトランスミュージックで使っても面白いんじゃないかと思うサウンドの一つ。
そんなトランスサウンドを聞きながら2杯目のコーヒーを淹れる。
“2時間目は何の授業をやっているかな”
そんなことを考えながら時間割を見て、面白そうな授業があれば見に行く。
学校のSNS用でもあるが、自分が聞きたいからという下心も0ではない。
時より授業が面白く感じることがある。
高校生の頃に感じなくとも大人になると、学ぶことが楽しいこともある。
最近ではアメリカから来ている英語のアシスタントティーチャーに毎週英語の授業を頼んでいる。
英語の先生も巻き込んで、僕と一緒にアメリカ人の彼から英語を学ぶ。
必ずしも英語が必要ではないけれども、おそらく他言語を学ぶのが好きなんだと自分では思っている。
学校では僕も学ぶことができ、いい環境だと思っている。
教員という世界
何かと学校や教育は世間の槍玉に上がる。
「学校は閉鎖された空間」
「教員の世界は独特な世界」
そんなこともちらほら言われるのが、教育の世界。
もちろん僕自身もそれらの声が直接届くこともあるが、返答はあまりしない。
そもそも、僕自身が他と同じように一般的な視点でこれらの世界を見ているか分からないし、ここでの環境だけで教育界や教員の世界観を語れるほどではない。
この学校にはこの学校の世界があり、ここの教員にはここの教員の雰囲気がある。
要はここだけで教育界や教員の世界の全てを知ったわけでもない。
そもそも僕自身が学校を好きだったわけでもないし、今でも学校が正しいとは全く思っていない。
学校や教員が正しいと思っているだけで、世の中では間違っていることも数多くある。
学校に正しさは求めてはいけない。
認めていいのは、価値観の違う人々が集まっている場所、ということだけで僕はいいと思っている。
今日はクリスマスパーティー
何かとイベントの多い学校で、飽きないといえば飽きない。一時期、飽きてた時期もあったけど、最近はそんなこともない。
パーティーの準備をする生徒を横目に僕は彼らの写真を撮る。
毎日のように学校の中で撮影する僕を彼らは何とも思ってもいない。
ごく当たり前の光景となり、特別感もないだろう。
僕が20代半ばで子供でも作っていたら、大体同じくらいの高校生くらいだろうか。
他人の子供と、自分の子供では与える影響力も育て方も違うだろう。
教育にそこまで興味はない。
日本の教育にも学校の教育にも、親としての教育にも興味はない。
だからこそ僕は父親でもないし、家庭もない。これでいい。
職員室でコーヒーを飲み終える頃には生徒と廊下ですれ違う。
「ハッシーおはよう」
そう挨拶を述べて他人の子供の彼らは、何食わぬ顔で僕の横を通り過ぎていく。
それでいい。
雪国の朝のコーヒーは、嫌いじゃない。
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