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永井玲衣トーク&ワークショップ「手のひらサイズの哲学対話」(フォーラム・アール:これから話そう)(2024年5月26日(日))

日時:2024年5月26日(日)14:00~15:30
場所:金沢21世紀美術館シアター21
トーク:永井玲衣,川守康之(聞き手)

金沢21世紀美術館で時々行っているフォーラムRとして,哲学研究者の永井玲衣さんによるトークイベントが行われたので参加してきました。実は「タイトルに出てくる「哲学対話」という言葉が何となく面白そう」という理由だけで参加してきたのですが,これまで聞いたことの無かったこの言葉について色々な可能性を感じることができました。メモしながら聞いていたので,以下内容と私のコメント(#)をご紹介しましょう。

イベントのきっかけと概要

  • 21美の川守さんが永井さんの著作「水中の哲学者たち」を読んで,攻撃的になることなく,多様な人と対話を行っている点で永井さんに注目した

  • # 川守さんもおっしゃっていましたが戦争や災害の問題が現実的な今,「哲学対話」という方法というかスタンスは重要な示唆を与えてくれるのではと私も思いました。

  • この日はレクチャー&ワークショップというタイトルでしたが,ワークショップについては人数限定でレクチャーの後に行われたようです。私はレクチャーの方にだけ参加しました。

  • レクチャーについて永井さんは「分からないことを紹介して,いろいろ考えてもがく時間」とおっしゃられていました。これは「哲学対話」のポイントだとも思います。

  • 永井さんはそういったこと大げさにではなく「手のひらサイズ」の言葉で書くことを心がけているとのことでした。

そもそも哲学って?

  • 哲学については,「なぜ」や「もやもや」について,立ち止まって考える営みと定義されました。誰でも常に哲学をしていると言えます。

  • # 現在放送中の朝ドラ「虎に翼」の主人公がよく発する「ハテ」から始まる世界と同じですね。

  • すぐに答えを決めるのではなく,問いの形にすることがまず大切。「正解」を急いで出してしまうのではなく,「わからなさ」にとどまり,視点を増やして深めることに哲学の面白さ,苦しさがあると語っていました。

  • # このことも共感できます。日常的に感じる「生きづらさ」のようなものを哲学のネタとして色々な視点から考えてみるという感じでしょうか。

  • 哲学対話について

  • マルク・ソーテという人が「哲学カフェ」を始め,市場をほっつき歩くことで哲学者の役割を果たすという姿勢が出てきた。

  • 私たちには考えていることがあり,「問い」があるが,それを表現できる場所があるだろうか?

  • そして哲学対話の定義として,「苦しんだり,悩んだり,もがくことを許してくれる場(それを見知らぬ他者とでも行う)」とまとめていました。

  • ソクラテスの対話にも通じる姿勢だが,ソクラテスは何でも挑むような姿勢なので,永井さん的にはもっとやさしい場になるべきと考えているとのこと。「哲学には何も馬鹿にしない」という懐の深さがあるとおしゃられていました。

  • 「哲学対話」は,「問い出し」から始める。ということで,永井さんの実践例が色々紹介されました。「小学生の問い」はすごい(深い)とか,「なぜ雑草を抜くのか」(考えてみると結構哲学的)とか,「アクセント論争(相手の発音を変えさせたいと思う)」のはなぜ起きるのかとか,面白かったですね。

  • この「対話の場所」という点について,現代社会(若い世代)は「正解はないけど,間違いはあるじゃん」という時代になっているとの指摘。

  • # 確かに私の身の回りを観ても「まちがえたくない」という原理が強く働いている苦しさの中で生きている人が多い気がします。

  • 共に考えることに慣れていないというよりは,傷ついている人が多い時代。哲学対話の場は,「まあ,ここだったらいてもいいかな」という場所であり,「聞くことがのびのびと出来る場」と言える。そういう対話的で心理的な安全性のある場所が社会にあって欲しいというというのが永井さんのいちばんの願いだったのではと思いました。

  • そして対話に入るには,そもそも人間観の転換が必要とも。傷つけ合うことが許された場で議論するということは簡単なのだ,ともおっしゃっていました。

哲学対話の3つの約束

  • 哲学対話を行う場合,次の3つの約束を説明している。①よく聞く,②自分の言葉で話す(知識合戦にならないように),③人それぞれで終わらせない(あきらめないのがスタート)

  • # この3つは一般的な会話や会議についても言える部分がある気がします。①②③とだんだんとハードルが高くなる気もします。特に「人それぞれ」には,ついつい逃げたくなりますね。

  • 自分と誰かに無理をさせない場をゆっくり共に作るのが重要。

  • 「問い」でつながることで,個人の悩みが,「問い」の形でみんなのものにできるというのが,重要な点ですね。

非常時の対話

  • これは今回の能登半島地震にちなんで出てきた話題だったかもしれません。

  • 高橋源一郎さんの「非常時のことば震災の後で」という本の中の言葉を紹介されていたのですが….メモし忘れました。

  • 「すぐに言葉が出る」というのは異様。ペラペラしゃべれている方がおかしいのでは?「問う」ことが真ん中にあれば良い。

  • # こう言ってもらえると救われます。

  • 「問い」は重く,抱えきれないこともあるが,そういうとき「だましだまし,ぬるりと考える」のが好きとのこと。色々な重い問いについても,身近な手のひらサイズの問いから入ると話せる(例:異物の排除→雑草の話題)。その「問い」が深まっていくことが,哲学対話の醍醐味なのかもしれません。

  • # 話を聞いているうちにだんだん本質が見えてくる(少しでも近づく)という感じは,カウンセリングなどにも通じるのではと思いました。

最後は質疑応答の時間。すばらしい「問い」が続き,このイベント自体が「考える場」になっていたなと思いました。というわけで,トークイベントの後,永井さんの「水中の哲学者」たちを買って読んでみました。「ちょっとこだわりの多いエッセー」という感じで大変読みやすく,考えさせてくれる本でした。


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