「no money」

口座の残高が、282円だった。たまに聞く。口座残高を確認して、いくら貯まったか喜ぶ人がいると。僕は逆だ。貯まったら、それを手放したくなくなる。減らしてたまるか!と全くお金を使わなくなると思う。でも、必要な分のお金は消えていく。無論、心苦しくなると思う。

逆に、もう282円だと、燃えてくる。とうとう終わる時が来るのかと。ここからだぞと。最後の悪あがきをかましてやろうと。お金が無いと、伊東から出られないかもしれない。でもヒッチハイクが成功するかもしれない。何があるか分からない。むしろお金が無い方が、訳分かんない目にあえる。気がする。どうでしょう。皆さんは、口座を見てニヤつきますか?僕はニヤつきました(282円は流石に極まっていたので)。

無駄。そう思えることをやることに、価値を感じる。もうお金をもらえなくていい。もはや、この伊東での活動を「仕事」とは呼びたく無い。僕が今までやってきた、さすらい、革細工、群馬の山小屋、それと同等だ。だから、好きなようにやる。

いつも僕の行動には、明らかに無駄が多い。好きなようにやると無駄のオンパレードになる。

今日の無駄は、客室に椅子を持って行き、各タイプの部屋で30分、音楽を流して歌ったり、ごろごろしたり、スマホをいじってたりした。この所業、明らかに、給料泥棒である。が、僕の観点では違う。

ホテル、旅館等で、僕は基本的に、今書いたようなことをやる。要するに、客の目線で、もし僕が泊まったら、どこが気になるのか、見てみたのである。結果は大体同じ。部屋が全体的に綺麗になったら、そこそこはいいんじゃね?と。なあんだ、やることはほとんどないじゃ無いか。

あとは、お馴染みのシール剥がしである。もはや、給料がもらえない程(という心つもり)で、作業をしているので、どんなに小さな作業でも楽しくて仕方ない。気が楽だ。少しずつ綺麗になっていくのが、とても気持ちいい。マイペース。自分だけのリズム。残念ながら、僕のペースは、周りの人とは違ったみたいだ。

明日も無給で、(館内を)遊んでみよう。

つづく。

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