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研ぎ澄まされた生活:田渕義雄「森暮らしの家」を読む

八ヶ岳周辺に暮らした先輩たちの著書を読み続けています。
食欲が湧くものは体が欲しているものと言われますが、まさにそんな感じ。
これからの人生をどう過ごそうかと考え続けている私にとって、高原の森の中で暮らしてきた人の言葉は、深く染み入るものがあるのです。

田渕さんは、フライフィッシングを含めてアウトドアライフの達人で、Be-Palの雑誌連載や書籍等で多くのファンを集めていた方です。長野県川上村の金峰山北麓にご自身の家を建てて、森の中での暮らしを満喫されていました。八ヶ岳のすぐ近くにある山ですね。

そんな田渕さんの本の中でも、多くの写真に目が釘付けになってしまう、森生活の神髄を知れる本をご紹介します。

美しい家

この本には、多くの写真が掲載されています。
160ページある本編は全てカラー刷で、どのページにも田渕さんが生活の場としていた森の家での写真がついています。
私はこの本を、中目黒の書店で中古本として買いました。手に取ってパラパラとページをめくっただけで、即座に購入決定です。自分が昔から漠然と憧れているライフスタイルが、リアルな写真とともに目の前に飛び込んできたわけです。ちょっと、衝撃的な出会いでした。

自身で造った石積みが美しいご自宅

自然の中での生活に憧れる人たちのバイブルとして、ソローの「森の生活」という本があります。田渕さんもソローが自らの手で建てた小屋(キャビン)に憧れ、ソローのキャビンの現代版としてこの家をデザインされたそうです。
この家の最初の基礎や建物は、地元の大工さんに依頼したそうです。でも、その後はご自身による増築作業が続きます。

「わたしがこの家を所有しているのだろうか? それとも、この家がわたしを所有しているのだろうか?」
それは実に悩ましい疑問だった。

22p

増築だけでなく、庭仕事、野菜づくり、外壁補修、いろいろな作業にお金と労力をつぎ込んでいく田渕さんの心の声が、こんな言葉に集約されていました。
「この家が私を所有しているのだろうか」、確かに家自体が主(あるじ)で、住人はその使用人として主人のためにあくせく働き続けているようにも思えます。
猫を飼っている人も同じような感覚になるといいますよね。自分がペットとして猫を飼っているつもりだけど、実は猫が主人で、自分は猫のために世話をしつづけている使用人なんだと。

こういう愚痴をこぼしながらも、田渕さんの本音はこっちです。

ニューイングランド風の瀟洒なたたずまいの部屋になった。
わたしはうっとりとした気持ちで、それをいろんな角度からみつめた。

22p

でしょうね。本当に、美しい家なんです。
引用の範囲を超えてはいけないので写真の紹介は最小限にしますが、外から見ても、中から見ても、うっとりとします。

家の中も、田渕さんの美学が貫かれている

生活を楽しむ中での哲学

でも、この本は写真集ではないのです。
写真も素晴らしいけど、ベテランのライターである田渕さんの紡ぐ文章には贅肉がありません。ジューシーで美味しい部分だけを選りすぐったステーキのようです。
どういうことかと言うと、「石を積みました」とか「窓を自作しました」という行動記録だけではなく、その行動の裏で田渕さんを支えていたモチベーション、自分自身への叱咤激励、哲学的な価値観、そういった感情の部分がズバリと表現されていて、それが読者の心に刺さるのです。

例えば、こんな感じ。
玄関への石段を整える仕事をしながらの、一言。

こういう重たい力仕事は誰も手伝ってくれない。遊びに行けば手伝わさせられることを知ってか知らずか、不思議なほど誰もやってこない。いいさ、ひとりでやるさ。力仕事をこなすコツは、アスレチック・ジムに通って体力を鍛えるつもりでやることだ。

24p

石を積むって、私はやったことがないですが、本当に大変なのでしょうね。
見た目以上に、石ってすごく重たいですからね。
そんな苦行を自分に課す際に、それをジム通いに例えている点も面白いですし、こういう時に限って訪問してこない友達への愚痴を混ぜるあたりも可笑しさを感じます。

最初はアルミサッシになっていた窓を木枠に変え、そのリフォームを皮切りに様々な場所の窓やドアを自作していき、こんな一言も。

新しいワークショップの窓とドアは、すべて自分で考え自分で作った。わたしはそれを、うっとりとした気持ちでみつめた。そして、おもった。
「自給自足とは自己満足のことだったんだなー」と。

32p

自給自足と自己満足。見た目がとても似ている言葉ですが、私はこの2つの言葉を並べて考えたことがなかったです。
なるほど。すごく上手い言葉だと思いました。そして、上手い言葉にもかかわらず、嫌味が全くないというか、すっと納得できる言葉だなと感じました。田渕さんの本音そのものだと、感じることができるからでしょうね。

田渕さんはいろいろな肩書きを持っていて、家具製作者でもあります。
椅子を作るための作業をしながら、こんな言葉も。

ラジカセに1950年代のアメリカン・ポップスを謳わせながら、椅子を組み立てていく。時がその時代まで滑りおちて、そこで止まる。そんな時のなかで木工に精を出す・・・。
時は金ではない。時間は時間だ。

85p

「時は金ではない。時間は時間だ。」、しびれる言葉ですね。
時は金なりとか、今風に言えばタイパとか、そういう効率を求める風潮を一刀両断しています。大切な時間を、金なんかに変えてたまるか。木工家具を作るという結果ではなく、家具を作るというプロセス自体を楽しむんだ、そういう強い決意を感じます。

田渕さんの家も庭も生活も、一言で表すと「研ぎ澄まされている」という印象です。物にあふれて雑多になりがちな現代社会の中で、自分にとって本当に必要で愛情を注げるものを選び、それを自分で作って維持し続ける。そして、その完成品を手に入れることだけでなく、完成品に近づけていくプロセス自体をずっと楽しんでいく。
そういう価値観を徹底しているからこそ、誰もが心を奪われる美しい家として結実したのだと感じました。

感謝を込めて

この本は2002年に出版された古い本なので、なかなか入手が難しいです。
あえてリンクを張りませんが、Amazonで見ても残りわずかという状況でした。この本を読みたい方は、早目に手に入れてください。
単行本もありますが、美しい写真を見たいなら大型本のほうがいいと思います。
でも、他にも田渕さんの著書はたくさんありますからね。この美しい書斎で執筆に励まれていたそうです。私もすでに数冊を読みましたが、これからも読み進めていくつもりです。

田渕さんの書斎(マイ・オフィス)も圧巻の存在感

田渕義雄さんは、2020年に永眠されました。
作家であり、山登り、キャンピング、フライフィッシング、園芸家、薪ストーブ研究家、家具製作家など様々な趣味と仕事に没頭されて、多くの方の心をつかんできた生涯でした。

最後に、もう1つだけ私の心に刺さった言葉を引用させてください。
多くの言葉を残してくれた田渕さんには、感謝しきれません。

ガーデニングとは、好んで時間を無駄使いすることである。庭は、プライベートな世界だ。庭は、自分と自分の家族のためにある。それは家庭的なものなのだ。
園芸家はすべて庭の奴隷だが、なぜ好んで奴隷をやるかと言えば、やればやるほど、園芸家の歓びも大きいからである。庭という自然は、人類に巧妙な罠を仕掛けたのだ。
庭は、自分を自分で祝福する場だ。去年仕込んでおいた多年草の花が、この夏、見事に開花し庭を飾る。その花に近づき、その花の名前を呼んで「きみは何て美しいうす紫色なんだろうか!」と心でつぶやく。自然を誉めるということは、全べて(おしなべて)自分を自分で祝福することなのではないでしょうか?

156p

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