【小説】ステルス・ミッション 16

 録音アプリを開き、ゴミ箱マークを表示させて京子に見せ、そこに触れ、削除する。

 証拠となる音声は、あっけなく消えてしまった。
「さっき言ったことは、オレからの、ただのお願い」
 閉じたままの家庭科室の扉の横を、数人の生徒が通り過ぎていく。
 完全に過ぎ去るまで、会話はまた、途切れた。

 京子は壁から離れて、修也君に近づいた。
「桃川さあ、ちょっと前髪、長いんじゃない?」
 京子も修也君のことを「ピーチ」と呼ばない。でも理由は私とは違って、ただ一定の距離を保ちたいからだろう。
「ん、そうか?」修也君が前髪に手をやった時、カチャンという音がまた、鳴った。
「短くしてやるよ」
 一瞬だった。すばやくホイールを回し火を点けて、それを修也君のおでこに近づける。炎は揺れてから皮膚の手前で直立し、そして、前髪に触れた。
「修也君!」
 私は叫んだ。思わず、名前を呼んでしまった。
 でも修也君は、微動だにしない。何も言わない。

画像1

 チリチリと髪の毛が焼けている。すぐにきな臭い匂いがした。

 前髪どころか、眉毛まで燃えそうだ。だが目は見ひらかれたままだ。
「お前、なんなん? 何目的よ?」
 ライターの火はまだ点いたままで、京子は尋ねる。

「なかなか理解してくれる人が少ないんだけどさ。オレは2年4組全員のファンなんだよね。全員のことを笑顔にしたい人なの。それができたら2年生全員。その次は全校生徒。最終的には全世界、全人類。そうやってこの世界の神になった後は、奥入瀬渓流の水を神の水として世界中に高値で売りさばきます」
 なんぼかちゃくちゃねえな、と京子が今までで一番気だるい声で吐き出した。
「答えになってないんだよ、桃川。こっちはお前の本音が聴きたいんだけど」
 髪の毛が熱に耐え切れず、縮れて丸まってゆく。
「理由なんてどうでもいいんだよ」修也君は穏やかに、でもきっぱりと言った。「そんなの色々あるだろうよ。お互いにな。でもそれをいちいち持ち寄って言い合ったところで、どっちも説得なんてされなくない?」

 まだ火は点いている。焦げ臭い匂いはさらに広まっていく。
「ただ、熱量は一緒だよ。お前が今点けてる炎と同じ熱さは、オレにもある」
「京子」
 私の声に美佐子と加奈がすぐ反応した。京子への動線を遮るように、立ちふさがる。

「その、脅すだけの絡み方、もうやめたら?」

 京子が目を見開く。
「周りの3人も、正直しんどいと思ってるはずだよ、京子のやり方。見てれば分かる」
 私はまっすぐに相手を見つめた。修也君に倣って。
「何より京子自身、キツいんじゃない? ずっと、そのキャラでいるの」
 息をのんだ。
 京子の両肩が少し上がり、かすかに震え、ゆっくり下がった。その間、ずっと私を睨んでいる。
 本当に殺されるかもしれない、と私は死を覚悟した。大げさでなく。


 突然、京子が手を乱暴に振り下ろした。
 金属ライターが大テーブルの上をザーッと転がっていき、床に落ちた。京子は踵を返して歩きだし、扉を勢いよく開け、家庭科室から出て行った。他の3人も彼女の名前を呼びながら追いかけていく。


「大丈夫? 修也君」私はすぐ修也君に駆け寄った。
「ありがとう、与田。そうか、トップカーストへの新規参入者とかより、仲間内でのイメージキャラの崩壊の方を女子は恐れるのか。すげー勉強になったわ」
「いや、自分でもとっさに出た言葉にビックリしたんだけど」

 私は彼のおでこをチェックした。とりあえず火傷はなさそうでひと安心だ。
「にしても、脅すだけの絡み方かー、パワーワードだなあ」としきりに感心するので、なんだか気恥ずかしくなってしまう。

 それから修也君はテーブルの引き出しを開け、調理用のハサミを取り出した。焦げて丸まった髪の毛を切ってほしいと頼んできた。
 私は隣の椅子に座り、テーブルの上にハンカチを敷いて、向かい合った修也君の髪の毛を、慣れない手つきで少しずつ慎重に切った。
「何から何までごめんな。ホント、助かるよ」
 目を閉じた修也君の声はさらに穏やかで、聴いてるだけで落ち着いてくる。まるでイタコの口寄せのようだ。
「いや、別に、これくらい」
 距離が近い。対面なのは嬉しいけれど。手が震えないように気をつける。

「あ、そうだ。与田、一応確認しておきたいんだけど」
「なに?」前髪が、ぱらぱらとハンカチの上に落ちる。どさくさに紛れて、髪の毛を振り払うついでにおでこをなでちゃったり。
「この件、宿野には内緒な」
 私の指先の動きが止まる。修也君の皮膚にはまだ、炎の熱が微かに残っていた。
「これは基本、オレのお節介だからさ。与田を巻き込んじゃってホント悪いと思ってるけど、別に宿野には頼まれたわけじゃないし」
「そうだけどさあ」私は正直、理沙にお礼の一つでも言われなきゃ気が済まなかった。
「頼むよ。ほら、明日にでもオレ、与田に振られたって言うからさ。その辺は迷惑かけたくない。バレンタインも近いから、早めにフリーに戻りたい時期だろうし」
「はい、終わり」
 ムカついた。
 なので、私はつけらっと、焦げてない髪の毛も余分に切ってやった。だって個人的には、おでこが出てる方が好きだし。


*なんぼ:本当に、まったく。

*かちゃくちゃねえ:ごちゃごちゃしてて、こんがらがってて、その結果としてイライラする、不快だ、めんどくさい。

*イタコの口寄せ:詳しくは、日経ビジネスの鵜飼秀徳さんの記事へGO!

*つけらっと:密かに、しれっと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?