北川達夫「図解 フィンランド・メソッド入門」(2005年)

2000年から始まり3年に一度行われるPISA(国際学習到達度調査)ってのがありまして、第1回は日本も数学の分野では1位だったりしたんですが、読解力(厳密には色々と違うらしいけど、まあ「国語」みたいな感じ)で1位だったのがフィンランドだった。その次の2003年の1位も、やっぱりフィンランド。直近の2015年だとフィンランド5位、日本8位でやっぱり日本より上だ(ちなみに1位はシンガポール、シンガポールは数学、読解、科学の全ジャンルで1位。シンガポール、すご。来年あたり、「シンガポール・メソッド」って本が出るぞ!)。


というわけで、前々から気になっていたフィンランドの教育方法が知りたくてこの本を読んでみたわけですが、図解とある通り、薄い冊子で最初の方に「フィンランドは森と湖の国」って美しい自然の写真が載ってたりして、こりゃ求めてる内容とは違ったかなあと不安になったんですが、そこから先はまあ驚いた! フィンランドの教育、エグい。そしてめちゃ楽しそう! 


まず小学3年生でマインドマップですよ。IT企業のミーティングでCEOがカッコよくホワイトボードに書く、あれですよ。それを使って自己紹介に始まり、そこからグループで一つのマインドマップを作成したりして発想力・創造力を養います。また意見を言ったら必ずその理由を述べる、ということを徹底的に鍛えられます。そうやって論理力も積み上げたら、今度はそれらの力を総合して、物語を作る。


なぜ物語なのか? 僕がこの本で最も衝撃を受けたのは、物語もまた論理だという事実なんです。だって、出来事の流れって、すべては因果関係だから。こういう原因があって、こうなるから。すげーシンプルな事実なんですが、改めてそんな風に考えたことがなかった。物語っていうと、論理を超えて、なんとなく雰囲気で書くものだと思ってた。でもよく考えたら違いますよね。因果関係があるからこそ、というか、因果関係がないと誰も納得して物語を受け取れないのです。だからみんな(小説に一家言ある方)はあんなにも伏線伏線言うんです、僕も含めて。ファンタジー小説で、ラスボスに対峙した時に、今まで一回も出てこなかったし匂わせることもなかった最強の剣をいきなり振りかざして倒しちゃっても興ざめじゃないですか。必ず前フリが要る。それが物語の論理。


ちょっと話が逸れましたが、とにかくひたすら論理・構成・表現を突きつめる、まさに方法論(メソッド)を学ぶんですね、小さい頃から。エジソンは小学校で「なんでなんで?」で質問しまくって学校の先生をウンザリさせたって伝記マンガで読んだけど、フィンランド行ったらみんながエジソンですよ。しかも先生までもが。


他にも、グループごとに作文を書いて、他のグループに良い点・悪い点を10個ずつ挙げてもらい、その上でリライトする(!)とか、議論する際のルールとして「泣いたり怒ったりしない」があるとか、「相手の立場になる」という言葉が「相手の主張の論理構成を考えてみる」と同義(オレ的に絶対ナシだけど、この人は朝食の前に歯を磨くメリットをなんだと考えているんだろう?)だったりとか、本自体は薄いけどもう盛りだくさんすぎでした。


こうした教育は確かに、ある意味で「型」に嵌めていると言えますが、スポーツだって書道だって最初は必ずマネから入るし、必ず基礎という名のパターンは教えます。必要最低限の土台は教えてあげるべき、と述べる筆者の、あとがきの言葉を引用して、この記事を終わりにしたいと思います。


《私はフィンランドから帰国後、さまざまな形で教育に関わってきました。そうするうちに、極めて恐ろしい事実が分かってきたのです。そもそも日本には肝心の「型」がないのではないか――。》


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