【小説】ステルス・ミッション 14

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 翌日はまた、午後からひどい吹雪になった。

 放課後になる頃には強い風は収まったけれど、例によって陸上部は休みとなってしまい、今日こそはという思いで、私は顧問の先生に校内練習の許可をもらうべく、一人、職員室に向かう。その途中、突然肩をグッと組まれた。

「ちょっと付き合ってよ」
 鹿内鈴香だった。筒井グループのナンバー2。
「部活ないんでしょ」鈴香はまっすぐ前を見てそう言い切る。組まれた腕の力は強く、逃げられないように押さえ込んでくる。周りからは仲のいい女子同士に見えるだろうか。
「何? 私、職員室に行くんだけど」
「すぐ済むよ」鈴香の声には、少し興奮が入り混じっていた。「いい子にしてればさ」
 鈴香に連行されるように、各教室から職員室までの廊下を途中で曲がり、実技教室が立ち並ぶエリアに入る。そのまま理科室前の女子トイレに押し込まれた。

 中には筒井グループがいた。右側の手洗い場に寺本美佐子と真鍋加奈。京子はいつものように腕組みをしたまま、左端の壁に背中を持たれかけていた。
 加奈がすぐにトイレの扉の前に立った。門番兼見張り役というわけだ。外は静かだった。普段ですら利用者が少ないのに、放課後ならなおさら人の出入りはまばらだろう。
「与田。携帯出して」
 前置きもなく、京子が命じた。首を斜めに傾け、蔑むような眼で。低い声で。
 悔しいけど、こういう仕草がホント様になる。雰囲気、あるんだよね。

 私はおとなしく、セーラー服の胸ポケットから携帯電話を取り出した。
 美佐子がそれを受け取り、「指紋認証」と言って画面を向けてきたので、私は指先を当てロックを解除する。その間、鈴香はずっと私と肩を組んだままだ。ロックが外れると、美佐子がアプリを起動して、いじり始める。
「あった」しばらく苦労していたが、LINE公式アプリではなく、京子の指示で別世界アプリに気づいた後で美佐子は小さく声を上げ、それを京子に見せるために近づいた。「やっぱこいつだよ。『理沙いじめ やめよう』の犯人は」

 美佐子の言葉を受けて、京子はゆっくりと私に近づいてくる。
 鈴香が空いている手で自分の制服のポケットをまさぐり、取り出したものを京子に投げ渡した。前に見た、金属製のオイルライターだ。
 カチャン、という芝居がかった音を鳴らして京子は蓋を開け、火を点ける。一回で点く。おいおい、学園ドラマじゃないんだから。たんだでねえな。
 私は心の声でツッコんだが、内心ビビっていた。手足が冷たくなってくる。

「どういうつもり? 与田、理沙と仲いいの?」
 京子は催眠術でもかけるみたいに、ライターの炎を私の顔の真正面に近づけた。
「別に、そういうんじゃないけど」
「じゃあ、なに?」
「私も正直、理沙は最近調子に乗りすぎとは思ってたけど、だからって髪燃やすとか、やりすぎでしょ」
 突然ライターの芯の先を、京子は私の頬に押しつけた。思わず顔をそむける。でも、そこまで熱くない。京子の手はホイールから離れていた。火はもう点いていなかった。

 背後で鈴香がクスクスと笑う。残りの3人も笑った。
「勘違いだよ、与田。理沙はうちらの友達だよ? あいつ、カナダ人の彼氏ができて急に色気づいたらしくてさ。パーマかけたいとか言いだして。でもうちらの学校、パーマ禁止じゃん? 校則厳しいからさ。だから、天パだって言い張るしかないわけ。うちらはこの前、天パ風に仕上げるのを手伝ってあげただけなんだけど。理沙に訊いてみなよ」
「理沙の髪の毛、燃やしてたのは認めるんだね」

 声が震えないように、のどに力を込めたら、少しかすれてしまった。
 京子の顔から、笑顔が消える。ライターのホイールに親指を乗せたまま、握りしめたそのこぶしは私の頬に当ててきた。その位置で火を点けたら、ちょうど私の耳たぶに当たるだろう。
「与田は、調子に乗りすぎてないの?」
 ホイールが、ジリッという音を放ち、回される。私はめいっぱい顔を背ける。

 炎は、点かなかった。よかった。でも、次も点かないという保証はない。

「ここか」
 急に声がして、トイレの扉が強く押し開かれた。扉が加奈の背中に当たる。驚いて加奈は扉の前から動いてしまう。現れたのは、修也君だ。女子トイレの中に、ためらいもなく入ってくる。
「探したよ、与田。じゃなくて、久留実」
 男子の乱入に動揺した鈴香の隙をついて腕を外し、私は修也君のそばに近づいた。
「おい。入ってくんなよ、変態」
 鈴香の罵声を無視して、修也君は「大丈夫?」と私に問う。「無茶すんなよ。オレにまで内緒で動く必要あった? 見つけるのに時間かかっちゃったよ」
「ごめん。でも桃川は、心配して、すぐ間に入って来ちゃうと思ったから」
 どうしても、予定よりもちょっとだけ長めに時間を稼ぐ必要があると思ったのだ。

「ねえ」京子が修也君に向き合った。「うちらまだ、与田と話あるんだけど。どっか他のとこで待っててよ、彼氏さん」
「うん、いいけど。でもその前にさ」
 修也君はうなづきながら、私に手のひらを差し出した。私は制服の裏地についている「内ポケット」から、もう一つの携帯電話を取り出した。
 修也君がそれを慎重に受け取り、進行しているタイマー表示を止める。時間にして、10分程度が経過していた。画面を数回タッチする。音声が流れる。

『ちょっと付き合ってよ』廊下や制服にこすれる雑音に混じって聞こえてきたのは、録音された鹿内鈴香の声だった。『部活ないんでしょ』。それだけ確認すると、修也君は音声を止め、自分の携帯を制服の内ポケットに入れた。外から見えない「内ポケット」って本当に便利。
「汚えぞ!」「盗聴とか犯罪だろ!」鈴香と美佐子の怒鳴り声がトイレ内に響き渡る。
 お前らが言うなよ、と私はまたツッコミを入れる。心の中で。

 修也君は「海を知らぬ 少女の前に 麦藁帽の」と短歌を詠み出し「われは両手を広げていたり」と下の句を続け、それと同じ動作をした。やむを得ない、お手上げなんだという風に肩をすくめてみせる。ねえ大丈夫なの? そんなに煽って。


*海を知らぬ 少女の前に 麦藁帽の われは両手を 広げていたり:寺山修司の短歌。詳しい解説はまるちゃんと短歌・文学の世界へGO!

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