【小説】ステルス・ミッション 12

 それから有介は1週間くらい学校を休んで、なんとそのまま転校してしまったんだ。会って面と向かって謝ることもできないまま、オレは有介と離れ離れになってしまった。

 多分、この事件があって、近隣の小学校でも失神ゲームが問題視されて、与田んとこでも全校集会で校長先生が警告するハメになったんじゃないかな。けどこの手の話って、逆に生徒たちが興味を持っちゃって流行ったりもするから、話すかどうかでまずモメるらしくて、そういう意味でもオレは近隣地域にまで相当迷惑かけちゃったんだな。

 野球部のコーチの話によると、有介のお母さんは、転校先を誰にも教えてくれなかったらしい。ただ、幸いなことに、有介のその後に後遺症とかは残らなくて、全くの健康体だということは教えてもらった。それに関してはホント、心からホッとしたんだけれど、転校のショックはそれをはるかに上回ってオレを打ちのめした。有介のお母さん、そんなに怒ってるんだ。もしかしたら、有介自身も。

 しかも、有介がいなくなった後も長い間オレを苦しめたのは、何よりもオレが、この件について、心の底から反省できなかったことだ。
 最初に有介がオレに突然、ゲームをしかけてきたこと。オレは失神ゲームの危険性を全く知らなかったこと。有介の方が、オレにやってくれと頼んできたこと。

 それなのに、って。
 言い訳できる要素がたくさんあった。だから、理不尽だってずっと思ってた。オレがやったことは確かに、下手すれば相手を殺してしまう危険なことだった。でも果たして、オレだけが悪いんだろうかって。その疑問はなかなか消えない。しかも、そんな疑問を抱いて、罪を棚上げしている自分にも、自己嫌悪を覚えた。納得のいく答えは出ない。出てもまた、違う答えを探し求める。罪悪感の無限ループだ。延々と繰り返す自問自答。

 考え続けていると、さらに別の疑問も湧いてくる。オレは過ちを犯したんだけど、結果的には大事に至らなかった。それ自体は喜ぶべきことだ。でもその場合、喜ぶだけで、罪悪感を抱かなくてもいいのか。罪の意識っていうのは、結果に左右されていいんだろうか。結果が出る前の、した瞬間に判断されるべきなんじゃないのか。ただ、そうなると世の中の大半の人は、何かしらの意味で、深刻な罪悪感を抱え込むべきってことになるのでは。それは世界全体にとっていいことなんだろうか。まずい、このまま突き詰めてしまうと、またオレは「反省しなくてもいい」という結論を出しそうだ――。

 6年生になって、オレは野球部を辞めてしまった。野球自体は楽しかったし、レギュラーで割とチームには貢献してた方だったと思うから、大人も含めて周りのみんなは引き留めてくれたんだけど、もう楽しめなくなっていた。コーチを見る度、殺人未遂を犯した現場を思い出してしまうから。


 淀んだ気持ちを解決できないまま、オレは中学生になった。環境が変わったから、心機一転、「変な奴」キャラで、あまり深いことを考えずに、ヘラヘラ気軽にやろうと思ったんだけど、そう簡単にリセットはできなかった。ふとした折に、津軽塗のまだら模様みたいなモヤモヤが頭に浮かんでくる。すごく楽しいこと、たとえば、友達とお笑い芸人の真似をして腹を抱えて笑ったり、劇場で映画を見て感動した後とかに、急に、オレはこんな風に人生を楽しんでていいんだろうかって疑問に襲われて、その幸せな気持ちが瞬時に吹き飛んでしまうんだ。オレは今一瞬、あの時犯した罪を忘れてたんじゃないかって。そんな勝手な真似が許されるわけないのに。人を殺しかけたのに。

 許されるために、どう償えばいいのか。
 そもそも、償いさえすれば許される、という目的で謝罪するのって、本当の謝罪になるんだろうか。またしても無限ループだ。キリがない。オレは途方に暮れた。

 一通の手紙が届いたのは、去年の7月、夏休みに入ったばかりのことだった。今どき手書きの封筒入りの手紙だなんて珍しいと思った。差出人を見ると「遠山有介」と書かれていた。住所は福岡県だった。本州ですらない。そんな遠くまで。オレは速攻で封を破り、手紙を読んだ。

 内容は、オレに対する謝罪に終始していた。こんなにも連絡が遅れてしまったこと、連絡を取る勇気がなかなか出せなかったこと、話すこともなく突然消えてしまったこと、オレに対して怒りなどは全く覚えていなくて、むしろ不安にさせてしまったこと、自分が悪かったのにそれを謝れないでいたこと、あの時、自分の母親が身勝手に罵声を浴びせてしまったこと、そして、《もし不必要な罪悪感で修也を苦しめていたなら、それは本当に申し訳ないと思う》、そう綴られていた。

 読み進めながら、胸のつかえが嘘みたいに取れていくのが分かった。何かの物質がスッと溶けていく。ハッキリとそれを感じたよ。久しぶりに、思い切り、息が吸い込めた。すべての不安と不満が消えた。罪の意識。申し訳ないと思う気持ち。それが消えた。でも、不思議なんだけど、罪の意識が消えた時、ようやく、初めてオレはちゃんと、心の底から、有介に「ごめんな」と言いたい気持ちになった。矛盾してるんだけど、罪の意識が消えてようやく真の罪の意識が芽生えたんだよ。ああ、これが罪悪感なんだなって腹の底から理解した。そして、心の底から謝れる自分を「誇れる」というか。でも得意になってるわけじゃない。ただ、そういう自分を肯定できるんだよ。済まないという気持ちを、自覚して、表現して、相手に伝えようとしている自分を。

 すぐにオレは有介に返信を書いた。負けず劣らず、謝罪に満ちた内容だったと思う。ついでに連絡先も教えて、そこからは携帯でやり取りした。有介はこっちに会いに行っていいかと言ってきたから、断った。オレが福岡に行くからって。8月に、今まで貯めた小遣いをはたいて、一人で向こうに行って実際に会ってきた。

 一緒に博多ラーメンを食べながら、有介が教えてくれた。
「今日のことは、母さんには伝えてないんだ。いまだに許さないって言ってるから」
「そうなんだ」
 予想はしてたけど、実際にそう聞いた時、オレの気持ちはやっぱり沈んだ。
「でも母さんはわかってない。許すとか許さないとか判断できるのは、僕じゃないんだってこと」有介は箸を止めて、オレを見た。「修也、ホント、ごめん。ごめんなさい」
 有介はうつむいて、鼻をすすった。きっとラーメンの湯気が当たったんだろうな。

 だからオレも、自分の分も含めて、ティッシュを取ってやったよ。
 あの固ゆで細麺の豚骨ラーメン、美味すぎて泣けたもの。


津軽塗のまだら模様:ともさんの焼き物・骨董紀行へGO!

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