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【小説】ステルス・ミッション 01

01

 授業が終わると外は吹雪いていて、放課後の部活は中止となった。

 元々冬季の陸上部には活動場所がない。校庭も隣の運動公園も雪に埋もれているし、学校の体育館も隣接する市営のそれも、すでに他の部活に占拠されている。
 それでも私は顧問の先生の許可をもらって、ひと気の少ない校内を走り回ろうかと考えていた。身体を動かして、なまるのを防ぎたかった。厳密には、太るのを、だけど。

(あ、修也君)
 下見のつもりで来た音楽室、理科室、図書室と続く廊下の先、家庭科室の扉の前で、同じ2年4組の桃川修也君が、じっと佇んでいた。大河ドラマの武士みたいな立ち膝で。
 不自然な恰好。これは話しかけるチャンスかも。「何してんの?」と声をかけても別におかしくはないはずだ。むしろ「何してんの、修也君?」まで付けてもいいのでは? いや、最近あんまり喋ってないから、さすがに下の名前はなれなれしいか。
「おー、与田! 遅かったなあ!」
 すっと立ち上がりつつ手を挙げて、こちらよりも先に、大きな声で修也君が私を呼んだのでビックリしてしまう。久しぶりに名字を呼ばれてちょっと胸がじゃわめいだ。ていうか「遅かった」って、何?
 素早く手招きするので、私は慌てて近づく。
「与田ごめん。ちょっと、適当に話、合わして」小声で、ささやかれた。
「え?」
「話、合わしてね」
 少し照れたような顔で念を押すと、修也君は家庭科室の扉を勢いよく開けて、中に入っていく。少しも事態を呑み込めないまま、とりあえず私も後に続いた。

「あれ、筒井たちも参加するの?」
 部屋の奥、窓際のテーブルにいた人だかりに修也君は呼びかける。これも同じクラスの筒井京子とその取り巻きたちだった。その輪の中にもう一人見えたのは、宿野理沙。キレイ系の京子と違ってカワイイ系の彼女は、確か筒井グループではなかったはず。まさかの新規参入? まあ、今どき私みたいな派閥無所属の方がレアだもんね。
 家庭科室の中は、少し焦げ臭いような、妙な匂いがした。調理実習でもしたのかな。
「何。なんかすんの?」
 京子は一人だけ、6人掛けの巨大テーブルの手前側にいて、頬杖をついた格好だった。その姿勢を崩さず、顔だけこっちに振り向いて、修也君に尋ねる。低い声。それは彼女が不機嫌な証拠だった。相変わらず、すごみがある。美形だから、なおさら。
「いやほら、もうすぐバレンタインじゃん? 最近だと男とか女とか関係なく、好きな人にチョコあげるらしいんだわ。だから今日みんなで『本命チョコの作り方を与田久留実先生に教わる会』をやるんだけど、聞いてない? 筒井たちも参加する?」
 修也君はスラスラとよどみなく真っ赤な嘘をついた。いや、少なくとも私はその話、まったく聞いてない。「あと誰来るんだっけ?」などと、平然とこちらに顔を向けて追い込んでくるので、私は適当な名前を2、3人あげるだけで精一杯だ。
「ふーん、そう」と京子が答える。納得したような、疑っているような、判別のつかない表情だ。「うちらはやめとく」と付け加えて、理沙だけを残して家庭科室を出ていった。グループの残りの3人もそれに続く。全員が夢中で見ていた携帯を急に取り上げられたような、不満気な顔は張り付いたままだった。
「宿野はどうする?」
 一つ手前のテーブルに両手をついて、修也君は理沙の顔を見やった。あくまで軽いノリで放たれる、穏やかな声と優しい視線。けど、不思議なことにそれは理沙の顔の中心からわずかにズレていた。何を見てるんだろうと思ってその視線を追った時、私は理沙の前髪右サイドの毛が、不自然に縮れて、跳ね上がっているのに気づいた。
(これは――)

 理沙は視線に気にし、すぐに耳に髪をかけるしぐさで隠すと、やや強引に修也君の胸を肩で押しのけた。そして夢遊病みたいな視線の定まらなさで、出口へ向かう。修也君も私のことも全く視界に映らないみたいに。そして扉に肩が触れると、まるでピンボールみたいに弾かれてから、ふらふらとした足取りでようやく教室を出て行った。
「理沙、大丈夫かな」
 私がそう尋ねると、さっきと同じように照れ笑いを浮かべ、でもそれに少しだけ真剣さを加えたような顔で、修也君は言った。
「与田。ちょっと相談があるんだけど、今から、いい?」


*じゃわめぐ:ドキドキ・ワクワクする。心がザワザワする。

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