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エンパワメント

 最近Twitterでツイートする回数もめっきり減ってしまいました。原因は電気グルーヴの石野卓球氏です。彼の数々のツイートによってすっかり毒気を抜かれてしまいました。そこまで興味を持てる話題が無いだけでそのうちTwitterにも戻るのかも知れませんが、少なくとも今はリアルでの文化的な活動を大切にしようという気分になっています。つまりピエール瀧氏だけではなく私も卓球氏にエンパワメントされてしまったんですね。ただこのnoteに関してはもう少し気楽な感じで続けようかなと。平成の最後に今更ながらこの卓球氏とテクノシーンと私自身について雑感をまとめてみます。

■私にとって最後の砦だった電グル

 前回のピエール瀧氏逮捕に関する私のnoteは、絶望感あふれる内容で今読むと少し笑えるのですが、瀧氏の逮捕によってむしろ焼け太りしていく最近の卓球氏を見ていると流石だなと。当時心配していた私がバカみたいだなと。卓球氏がよく述べる「自分の物差しは自分に使え」という言葉に打ちのめされる思いです。

 私は過去に卓球氏が切り開いてきたテクノシーンに傾倒していた時期がありました。ただ近年は仕事漬けの日々でクラブに行く機会が少なくなり疎遠になっています。仕事が落ち着いたらまた復帰出来るだろうと軽い気持ちで考えていたのですが、そうこうしているうちに私が以前慣れ親しんだクラブシーンは見る影も無くなってしまいました。今は大箱やフェス、デイタイム向けのチャラいEDMやオールミックス系等が幅を利かせ(これらを否定するつもりはありませんが)、風営法が強化された影響などもあるせいか、オールナイト可能な小規模の箱が激減しています。そのため長時間のミックスを必要とするテクノ系DJやそのオーディエンスが育たなくなり、日本におけるテクノシーン全体も以前より縮小しています。卓球氏が主催していた国内最大級のテクノイベント『WIRE』も2013年をもって終了してしまいました。『Electraglide』や『METAMORPHOSE』も同時期に終了。消息不明になったマイナーなテクノ系DJの友人も何名かいます。

 その日本におけるテクノシーンのキング的存在であるピエール瀧氏の逮捕は、私にとってシシガミの首が討ち取られたようなものでした。

 まるで、神々しくも禍々しい畏怖の対象である森が人間たちを傷つけない明るい里山に変わってしまう『もののけ姫』のラストの様ですが、この世界の片隅で妖怪のようにモノノケダンスを楽しんでいた私としては、退屈な世の中になっていくのだろうなと思うわけです。

 上記のnoteでもこの様に締めていますが、当時私がどういう気分だったのかがよく分かります。瀧氏が逮捕され、ヘビーツイッタラーだった卓球氏が「だとよ」のツイートを最後に1週間以上も沈黙している時に書いたnoteなので、かなり絶望気味ですが。

■石野卓球無双

 しかし、卓球氏はそんな私の不安を一気に払拭するようなツイートを行いました。

 3月12日深夜に瀧氏が逮捕され、3月14日に電気グルーヴのライブや石野卓球ソロとしての活動も当面キャンセルが決定された直後に渡欧し『電タトゥー』を入れて、3月24日に海外からそのことをTwitterで報告したわけですよね。その行動力もさることながら、彼の電気グルーヴや瀧氏に対する思いや決意を痛感し、恥ずかしながら電車の中で号泣してしまいました。「涙が出る」というお気持ちツイートを「嘘つくなw」と散々バカにしてきた私が、まさか卓球氏のツイートで本当に涙が出てしまうとは思いませんでした。こんなことをツイートしてしまうとエゴサの鬼である卓球氏にメンヘラ扱いされてブロックされかねないので、この時はRT/favするだけに留めましたが。

 このツイートに「温泉やプールに行けなくなりましたね」などというクソリプがいくつもついていましたが、そんな制約を受けることなんて覚悟の上でのタトゥーでしょう。「タトゥーに偏見の無い社会に変えていきたい」などとファッション感覚でタトゥーを入れた某氏に関しては私も昨年夏に散々批判してしまいましたが、『電タトゥー』はそれとは対照的なものです。電気グルーヴは絶対解散しないという決意表明であるのと同時に、タトゥーが偏見の目を向けられる反社会的なスティグマそのものであるからこそ、薬物乱用で反社会的な存在になってしまった瀧氏を対等の立場からエンパワメントすることが出来るんですよ。51過ぎてこのタイミングで初タトゥーということは、ファッションではなく、入れる必要があると判断したから入れたのだと思います。「真似すんなよ」の一言も何気に深い。

 後日、私がこのタトゥーについてツイートしたら、卓球氏ご本人からこんなリプを頂きました。

 その後も卓球氏のツイートは、よく知られている通り「謝罪すべきだ」などと同調圧力をかけるマスコミやコメンテーターたちをあざ笑うかのように、説明も謝罪もしないまま平常運転を続けています。瀧氏が保釈が決まった時の「えー!?死刑じゃないの?」と、保釈時の「髪型wwww」は、らしさ全開で最高でした。ここ数年で一番青春を感じることが出来ました。

■排除されるマイノリティ

 そして今も卓球氏はどこの馬の骨ともわからない一般人(クランケ)たちと言い争っていて、この行為に関しては賛否あるとは思いますが、卓球氏は売られた喧嘩を買い、建前なしのコミュニケーションを行っているだけなんですよね。どんな人でもウエルカムだけど、バカにはバカと言っているだけです。

 瀧氏に対する扱いも基本的には同じで「居場所はあるけど良い大人なんだから自分の責任は自分で取れよ」の姿勢を貫いています。犯罪などによってスティグマ化された人たちをエンパワメントするには自分自身で責任を取れる「大人」として扱うことが原則としてあると思うのですが、日本は連帯責任の意識が強いせいか、成人が起こした犯罪でも親や身内が謝罪することが美徳とされてしまう。しかしこういう行為を求める建前論だけの「道徳的」な人たちこそ瀧氏をエンパワメントする気なんてさらさら無く、身内もろとも社会から排除することしか考えていないのでしょう。

 話は少し逸れますが、私がEDMなどのメインストリーム化してしまったダンスミュージックシーンを敬遠する理由もこういう「道徳的」な人たちに対する拒否反応に近く、最大公約数的に進化することで商業的には成功出来たとしても、それはあくまで建前の世界であり、私にとっては学校の文化祭と変わらないんですね。ポカリスエットのCMや登美丘高校ダンス部と同じノリ。そういう大人数で同じ様に盛り上がってみた系の「ビジネス仲良し」的カルチャーは、所詮マジョリティ向けのエンタメに過ぎず、私の様に「非道徳的」で捻くれた陰キャや疎外されてきたマイノリティをエンパワメントする力があるとは思えない。ダンスミュージックは本来LGBTQなど宗教的道徳律から外れたマイノリティが中心の文化だったはずなのに、メインストリーム化するほどそういう人たちが疎外されてしまうという逆転現象も起きているのです。

 ルールによってあらゆる「傷つき」を排除した空間は、マジョリティにとっては偏見や差別のない”ディズニーランド”のような美しい世界が広がっているように映るのかも知れませんが、現実で疎外されてきた側からすれば、それがただの綺麗事だとハッキリ分かるんですよ。しかも「無自覚な嘘」だから余計にタチが悪く、否応無く居場所を失ってしまうのです。たとえ摩擦が生じるとしても、バカはバカ、変態は変態、不細工は不細工とハッキリ言い合えるような本音の世界でないとエンパワメント出来ない人間もいるのです。だからこそ私たちは電気グルーヴに惹かれてきたし、彼らの存在が許されるローカルなサブカルやオルタナ、クラブシーン(ガラパゴス化した珍獣の楽園)などが必要なのです。

■全てが対等に扱われるテクノシーン

 少なくとも私はローカルなテクノシーンでエンパワメントされてきました。ヒット曲等を順番に繋ぐだけのEDMやOpen Format DJ等とは異なり、テクノDJが使用するトラックの一曲一曲は音数の少ないパーソナルなミニマルが多く、それ自体がヒットすることはほとんどありません。中には廃盤になったものや最初からDJ向けに制作されたツール的なトラックも数多く存在します。その無数にあるトラックの中から使えそうなものをDJが発掘し、オールナイトで継ぎ目なくミックスし続けることで、全く新しい数時間の一曲をフロアのリスナーたちと一体になりながら作り上げていくのです。PCDJやリアルタイムシンセシスの時代になるとその傾向はさらに顕著になり、リッチー・ホウティンなどを筆頭に何重にもトラックを重ねるプレイはDJと言うよりもテクノを即興演奏していると言った方が良いのかも知れません。私の勝手な解釈かも知れませんが、レアトラック・アンセムソング・DJ・トラックメイカー・リスナー、これら全てが対等の存在でシームレスにつながり合い、新しい可能性を追求していくというテクノシーンの構造に、メインストリームに居場所のない私は勇気づけられてきました。

 そしてこのテクノシーンの構造は、小規模な箱でも成立出来るため誰でもイベントを催すことが出来るという利点がありました。トラックを制作するための機材も安価であり、演奏テクニックも必要としないことから誰でもアイデアひとつでトラックメイカーになれることも大きかったのです。それ故にメインストリームに居場所がないマイノリティや陰キャとの相性も良かったのだと思います。ところが上記でも述べたように風営法などの影響でこういったローカルなコミュニティが失われつつあるのです。インターネット上のコミュニティだけではフィジカル面において不完全なんですよ。

■ローカル化あってのグローバル化

 私がいつも言っている事なのですが、いかがわしいからと言ってローカルなサブカルチャーまで「グローバル基準」とやらで舗装(均質化)してしまうと、マイノリティが排除されるだけではなく肝心なメインカルチャーまで先細りしてしまうのです。メインカルチャー化したEDMにしても、レンジの広い表現が許されるローカルなテクノ・ハウスシーンが培ってきたものが無ければ世に出てくることも無かったわけですから。

「日本も世界に取り残されないためにクラブも大衆向けのイージーな空間にしなくてはならない」的なことを仰る方もいますが、煽りでも何でも無く、そう仰る方が初心者向けのサーカス的なイベントでも開催して選択肢を増やせば良いだけの話じゃないですか。何故、既存イベントのオーガナイザーにまでクラブのキッズランド化を求めるのでしょうか。前回のnoteで取り上げたジェンダーバイアスガイドライン化の話にしてもそうですが、こういう「仕切り屋」が言うところの「正しい基準」とは、所詮自分たちが不快なものを排除したいというだけの利己的なものに過ぎず、弱者をさらにディスエンパワーしていることに無自覚です。何の成果も残せない人ほど出羽守的な事を主張して自分の意見を権威づけようとするのですが、こういう全てのカルチャーの除菌消臭化を望むような潔癖症こそ、サブカルチャーに無理解なお上たちの偏見や規制強化の流れを後押しする厄介な存在だと思います。だいたいグローバルで活躍するDJたちがそういうキッズランド的なクラブで力を付けてきたとでも(略──

■底が抜けた「ビジネス仲良し」

 とはいえ、瀧氏逮捕から1ヶ月半、卓球氏のブレない態度は私たちに希望を与えてくれました。芸能界的な慣習を芸能界の外側から打ち破ったのです。その他にも電グル作品販売自粛に対する抗議署名、『麻雀放浪記2020』の未編集公開、DOMMUNEによる「DJ Plays "電気グルーヴ" ONLY!!」そして「『DJ Plays“坂上忍”ONLY!!』〜ドキッ!! 坂上忍だらけの120分!!!!」など、これまでの慣習を打ち破るようなカウンター的な動きがいくつもありました。私の個人的なバイアスがかかっているかも知れませんが、電グルのお二人に日本中が価値観を強制アップデート(感染)されてしまった印象すらあります。事件の質が異なるため単純比較は出来ませんが、AAAのリーダー・浦田直也容疑者による暴行事件に関するAAAメンバー全員の謝罪コメントは失礼ながら非常に古臭く感じてしまいました。芸能界的にはオーソドックスな内容でしたが、実に事務的であり、電グルの二人の様に利害を超えたメンバー同士のつながりを感じることが全く出来なかったのです。マスコミからのバッシングは避けられるのかもしれませんが、何も生み出さない「無」でしょう。NGT48の件にしてもそうですが、建前的な「ビジネス仲良し」の底が抜けた感があります。ブランディング的にも成功しているとは思えませんし、せめて見え透いた形だけの謝罪や謎の連帯責任は平成で終わりにしませんか。私見ですが若者たちの価値観は完全に卓球氏側に流れていると思います。

 今にして思えばloftのバレンタイン広告も「ビジネス仲良し」に対するアンチテーゼだったのかも知れない。これも脳内ディズニーなツイフェミたちに潰されてしまいましたが、こういう昨今の「加速主義」的とも言えるサブカル破壊に対するカウンターカルチャーが少しずつ芽生えているのかなと。少し楽観的過ぎるかも知れませんが、このまま日本におけるローカルなクラブシーンも持ち直してくれないかなと微かに期待しています。

■「新しい音や楽しみとの出会いの場」

 最近はご無沙汰なため詳しいことは分からないのですが、EDMも数年前がピークで国内でもテクノやハウスが持ち直しつつあるようです。EDMの隆盛は予想以上に長かったのですが、ようやく落ち着きつつあるのかなと。とは言ってもグローバルなダンスミュージックシーンでは、ポストEDMが何であれ大箱やフェスで最大公約数的な分かりやすい曲をプレイするスタイルは今後も続くのでしょう。その方が効率的に大勢の人たちが共感欲求や承認欲求を満たすことが出来ますから。ビジネス的に考えればそれが「正しい」のでしょう。しかし、それはあくまで勝ち組的な「正しさ」であり、素数や外れ値的なマイノリティは省かれたシーンなのです。そして何よりもそういうインスタ的というか共感だけの音楽の楽しみ方はあまりに刹那的で、浅い。いや、私もそういう浅瀬で遊ぶことはありますが、その奥には大海が広がっているという認識くらいはリスナー側も持っておくべきかなと。上記でも述べたようにローカルなサブカルチャー無しにメインカルチャーが発展することも無いのですから。──そもそもEDMとテクノは何が決定的に違うのか?思うにテクノの本質は"DM(ダンスミュージック)"ではなく、ダンスという枠組みを超えた身体性の拡張を志向…(突き詰めだすとキリがないので割愛)── 何れにせよ、もう少しディープな方向に興味を向けてもバチは当たらないと思います。もちろんそれは、テクノ・ハウスに限らずですが。卓球氏の言葉を借りれば「新しい音や楽しみとの出会いの場」の方が遥かに人生を豊かにすると思います。

 というわけで、卓球氏にエンパワメントされてしまった私はTwitterを一旦休止し(たまに覗いていますけど)、DAWソフトを数年ぶりに立ち上げトラック作りを再開しています。社会人になった今ではプライベートの時間は限られているため非常にゆっくりなペースではありますが、特にリリースするアテもなくノイズオシレーターなどをいじりながらコツコツと制作しています。このアカウントで音源を公表することが出来ないのは残念ですが、ただ、こうやって作曲していると非常に充実した時間を過ごすことが出来るので、やはり私は言葉よりも音の人間なんだなと思います。今後は仲間たちと音楽を通じてローカルでディープなコミュニティを大事にしていきたい。平成の最後の最後でこういう大切なことに気付かせてくれた石野卓球氏に心より感謝いたします。

おわり

(2019.5.8 加筆修正済)

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