見出し画像

関わり続けることで変わる関係性

初めは目にするもの聞こえてくる音全てが新鮮で、何においてもトキメキを感じていたことも、参加する経験が増え、それが当たり前になってくると、初めの頃のようにいちいち感動したり驚いたりはしなくなる。
僕が好きな浅岡雄也さんに対しても同じ。3年3ヶ月前、初めて生でその姿を見て歌を聞いたときは、かなりの衝撃を受けたし、学生時代にテレビに出ていた人が目の前にいることに興奮しまくり、勝手を知らず軽い気持ちで差し入れしたら楽屋から出てきてくれて挨拶してくれた時のあまりの感激に、そのまま逃げるように帰った日のことは今でも鮮明に覚えています。

その時から月日は過ぎ、今日は浅岡さんの53回目の誕生日を祝うバースデーライブでした。今や演奏される曲の中に1度も聴いたことのない曲はほとんどなく、手拍子も周りの様子を伺いながらではなく、迷いなく率先して入れられるようになって、活動を追い始めた時に比べて単純にときめく回数は減ったかもしれません。

では、浅岡さんのライブや演奏に魅力を感じなくなったのか?そんなことは全く無くて、むしろ聴き慣れた曲がアレンジされてこんな音使いになっちゃうの!?とか、今日はここでビブラートかけるんだ!とか、この3年間たくさん聴いたからこその微妙な変化を感じ取れるようになって、浅岡さんのみならず、サポートで演奏されるメンバーの方々の引き出しの多さに驚かされたり。

そして一番大きいのは、変化することよりも変わらないことへの安心感かな。
「突然」や「DANDAN心魅かれてく」を歌っていた、あのどう見ても真面目だった好青年のお兄さんが、今や年を重ねて50代のど真ん中に近付いている。でも、毎年変わらないのは音楽をとても大事にしていて、その活動を通して、聞く者の気持ちを奮い立たせてくれること。歳は取ったけど、根っこは変わってなくて、なんなら当時思いもしなかった面白い人ってことを知ってしまって、そんな人を応援したいと思い、自分なりにだけど行動を起こせること。1年の中でまたこの時期が来て、僕の好きな人が変わらず歌い続けていることを自分の目と耳で確認できることは他に代えがたい喜びだなーと思っています。

1つのことに長く関わることで、そのこととの距離感や接し方に変化が出てくることは当たり前のこと。僕にとって浅岡さんに対する想いは、以前より落ち着きを見せている(と思っている)一方、本来非日常的であるその出来事達を日常の中に起こりうる当たり前のことに昇華することで、自分にも推しにも、幸せな毎日が当たり前に続く日々であってほしい、小さくても良いことがたくさん続いてほしいと思う新たなステージに踏み出しつつあるのかなぁと、そんなことを今日のライブに参加しながらぼんやり考えていたのでした。

浅岡雄也さん、53回目の誕生日、おめでとうございます。これからもお身体を大事にして、たくさん活躍してください!そしてこれからも幸せに活動している姿を見せてください!

では、また明日!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?