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人の厚意を受け入れられない時の話

「手伝えることがあったら何でも言ってね」
なんて言われたけど、いざ頼んでみたら、まあこちらの思惑を踏まえることなく「この方がいいと思うよ」なんて自分の考えで勝手に動いて、かえって混乱させられることがよくありますよね。

手伝ってくれる気持ちはありがたいんだけど、こちらは1つずつ確かめながら進めたいと思っているのに、その確認のプロセスを完全に無視されたせいで、最終的に仕事を増やされてしまう。例えば、順番の決まっている荷物を別の所に運ぼうとする時に、その順番無視でわぁっと運ばれたので、結局一人残されてから重たい箱を1つずつ並べ替えないといけなくなる、みたいな。
皆さんも似たような経験、ありませんか??

効率の良い手順を考えている所に「次は?次は?」とうるさくせっつかれるもんだから、作業の第一目的が、とにかくこのうるさい人達を黙らせるために見かけ上手伝ってもらったことにしようということに置き換えられてしまい、見切り発車を強いられ、都合の悪い状態に落ち着いてしまう。だから思考を持たない(持っていてもそれが依頼者の考えをくみ取らず独りよがりな)ただの「作業待ち」の存在は、自分にとってはありがた迷惑。

指示されたことを指示されたようにやればいいのに、現場の事を大して理解もしないで勝手に動くから、おかしなことになる。ほしいのは船頭じゃない。頼んだ通りに船を動かしてくれるクルー、少数の頭だけでは動かせないものを前に進めるための手や足、マンパワーなのです。

誤解を恐れずに言うと、ボランティア的な活動に参加するとき、この「船頭」になりたくて参加している人の数の多さに嫌気が差してしまうこともあります。積極的に独自の作業の進め方を提案し合うけど、そのどれもがお門違いの非効率な方法で、あぁ、気持ち良くお手伝いできないなぁとがっかりします。そんなにイニシアチブを取りたいなら、自分で1から組織を立ち上げれば良いのに、なんてシラーっとした目で見た経験は数えきれず・・

まれに、自分で考えてどんどん進めていってねということはあるけれど、その場合は担当者からそう言われるだろうし、前もってその作業以外の要素を話されるなど、全体像を意識して動けるような仕掛けを施されるはず。だから、ほとんどの場合はまず何をしてほしいかを把握し、方向性がずれない範囲で間の作業のやり方を少しずつ変えていくくらいの熱量が丁度良いのだと思います。

まとめると、思考なしに「何してほしい?」と言われたときには冗談抜きに言うことがあります。「何もしないでほしい」「ほっといてほしい」と。笑

では、また明日!

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