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【劇評219】伊藤毅の『てくてくと』が迫真力をもって描く不安に満ちた世界。

 雨の夜、駒場アゴラ劇場で、やしゃごの『てくてくと』(作・演出 伊藤毅)を観た。

 前作、『ののじにさすってごらん』に続いて思ったのは、ストーリーテリングの巧みさなのだった。

 今回は、登場人物のほぼ全員について、考えれば考えるほど、謎は深まり、確かだと思えた状況も、疑問のなかに放たれていく。人間のこころのうちには、だれにも伺いしれない暗部があり、現代の医学による診断も、仮のものでしかないと知れる。

 2019年の4月1日、オリンピックまであと何日としるされた日めくりが、コグマ製菓の休憩室に掛けてある。舞台は、転換ごとにこの日めくりが更新され、月日が経過していると分かる。

 この休憩室は、ちょっとした応接室を兼ねてもいる。

 コグマ製菓は、自閉症スペクトラム障がい(ASD)や注意欠如・多動性障がい(ADHD)などの発達障がいの人々を受け入れている。

 受け入れ状況を定期的に見守るジョブコーチの猿手有紀(とみやまあゆみ)が、受け入れ先の経営企画室長牧野祥吾(岡野康弘)を訪ねてきて、猿手が担当している間宮由人(藤尾勘太郎)とともに面談をしている。

 劇の冒頭からさまざまな問題が露わになってくる。

 綿引と同様の立場で、工場で働いている中本麻衣(井上みなみ)もまた、工場ライン長の犬塚勉(佐藤滋)の指導を受けているが、間宮も中本も、現在の仕事内容に不満を持っているかのようだ。ともに働く社員からすれば、責任を持った仕事を頼むには、信頼性に欠けているのではないかと不安を持っている。

 そこに、新たな新人社員ふたりがやってくる。
 近所のケーキ屋の娘八幡久美(石原朋香)と落ち着いた年配に見える小湊絵里(赤刎千久子)である。八幡は実家では、エクセルを操作していたと申告し、小湊は転居によってこの仕事に応募してきたという。

 このふたりは、公募によって採用されたかに見える。
 ところがやがて、八幡の入力ミスや対応の不手際から、現場を預かる綿引慎也(中藤奨)に激しく叱責されるに至って、だれが「正常」でだれが「グレーゾーンで」だれが、かつては「障がい」を持つとされていたかが、わかならなくなる。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。