見出し画像

菊之助は、なぜ、『京鹿子娘道成寺』ではなく『鐘ヶ岬』を名古屋で踊るのだろう。

 『春興鏡獅子』とならんで、『京鹿子娘道成寺』は、音羽屋菊五郎家の表芸である。

 玉三郎との『京鹿子娘二人道成寺』で、地芸を培ってから、ひとりで『京鹿子娘道成寺』を出してからの進境は、菊之助が、歌舞伎舞踊の頂点に立つべき役者だと示していた。

 今回、名古屋御園座公演で、『京鹿子娘道成寺』ではなく『鐘ヶ岬』を踊ると聞いて、いぶかしく思った。

 『京鹿子娘道成寺』には、所化が二十人ほど出演する。道行まで出せば、長唄ばかりか、竹本まで出演となる。コロナの下で、客席数も思うままにならない現状で、この演目は、なかなか上演がむずかしい。

 私は以前から、菊之助の『鐘ヶ岬』を観たいと強く望んでいた。

 それは、平成十九年の十一月二十六日、歌舞伎座で行われた『第十二回梅津貴昶の会』で、荻江節で、菊之助がこの演目を踊っているからだ。荻江二題と題して、勘太郎がまず、「百夜車」を踊った。次いで下の巻として荻江の「鐘の岬」を踊った。歴史的には、長唄の『京鹿子娘道成寺』に続いて、地唄の『鐘の岬』が誕生し、さらに荻江の『鐘の岬』となった。

 菊之助は、まだ地唄の『鐘の岬』を踊っていないが、日本の舞踊に燦然と輝く『道成寺』の山脈を歩いてきたことになる。

ここから先は

290字
この記事のみ ¥ 100

年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。